2007年07月26日

7月23日(月) 羊屋×橋口クラス レポート

「行動原理が剥き出しになる瞬間」

文・脇野定則(ボランティアスタッフ)

7月23日月曜日13時パトスにて、羊屋ゼミ橋口クラスが始まった。
ゆっくりとしたリズムのストレッチが十分に行われていたかと思うと、すうっ、と自然な感じで「ビューポイント」と呼ばれるワークショップが始まった。
まず、4足で歩き始める。掌、足裏の4箇所に均等な力を与えながら、自由気ままに前後左右に歩くように支持される。視線は床を向くけれど、視点を広く取り、気配を探る努力をすれば、容易に誰ともぶつからずに歩き回れるという事実を体験していく。
やがて、立ち上がりたくなったら、2足方向になり、自由に徘徊するように促され、ひとり、またひとりと歩行を始める。
気ままに歩いている。・・・多分、参加者は歩いていると思っているのだろうが、外から見ているとそうではないことが一目瞭然。まだまだ、遠慮があり、何をして良いかが分かりかねていて、羊屋氏の歩いた軌跡を、仕草をなぞっているに過ぎない。
そんな中、一人違ったのが、橋口氏。早くも「まっすぐ行って壁にぶつかり、一瞬止まって、方向転換」という行動をはじめる。しかも、鋭角的、直線的、大回りという軌跡を描く。羊屋氏との接点の多少、クラスで与えられたポジション、その辺りが影響しているのかもしれない。それとも、性格が表に出始めたのか。そんな考えが浮かんだ。
羊屋氏から次の指示が飛ぶ。「部屋の真ん中を通るように歩いて」「(奥の左右の角にある)スピーカーの近くを通過して歩いて」「左回りなので、皆右回りになって」
徐々に参加者が歩くことに馴染んでくる。各自、歩くことのへの自由度の幅か広がり始まる。
見ていて面白い。これは、ひとつの舞台としても良いのではないかと思い始める。ただし、それは、演じる側にはちょっとしたリスクが生じることが、すぐにわかるのだが。
羊屋氏の指示は続く。「極端にやった方が差がわかるから(速度や仕草の変化は大きく示して)」「真っ直ぐに歩いて、曲がる時には直角に歩くようにして」
そして、舞台の正面が決められて、歩くスペースが部屋の半分に制限される(擬似の観客席が設けられ、参加者は知らぬうちに舞台に上げられる)。
さて、ここからが、参加者たちにちょっとしたリスクが生じてくる。各人の性格や行動原理がむき出しになっていく。これを舞台にするのは、ちょっと残酷かなと思うくらいにまで、表面に出てくるのである。
羊屋氏「一番近い壁に寄って止まってください」と指示を出す。「空間に入りたくなったら、入りたいテンポで、真っ直ぐに直角で入ってください」と指示が続く。
少しばかりの無動作の後に、一人目が空間に足を入れる。触発されて、一人また一人と空間に入っていく。流されるように入るものもいれば、タイミングを見て入っていくものもいる。
すでに性格が出始めている。
「歩いている時には、ソフトフォーカスで(視点を集中させないで、視野を大きく広げて、良い意味で漠然とした感じで物を捕らえる)」「出会った時、分かれる時が難しい。90度を守って、清清しく分れる」との指示が出る。
しかし、参加者は逆に考えて歩かざるを得ない状況に追い詰められる。歩き方のストックが尽きてきたのもその理由のひとつだが、他の者との差別化をはからなければという無意識の意識がどこかにあることも見て取れる。
「誰かの仕草の真似をしてみよう。向かい合った相手の何かを真似しても良いし。遠くの人の真似をしても良い」そう言われて、参加者の中に新しい動きが出始める。時間差、誘い、リフレイン、変換、真似の連動、連作など。きっかけを与えられて、生き生きと、次々と新しい動きを取り込みだす。でも、個人差はますます大きく出始める。
「丁寧に伝染が起こっている(もっと緩やかな形も取り入れて)」「もっともっと近付いて、向かい合って、同じタイミングで、分れてみて。集中するとわからなくなるから、ソフトフォーカスを使って」と羊屋氏。
従う参加者たち、更にしばらくして、羊屋氏が指示を出す。「外側から見てみる必要もあるから、自由に抜けたり、入ったりしてみて」
参加者たち、抜けたり、入ってみたりを繰り返しながら、歩き、出会い、分れ、いろいろな真似をする。
動きにルール(傾向)が出来始めたかなと思っていたところ、羊屋氏も「偶然にも2つのパターンが繰り返されることになった。この先は、アクションを増やす必要ない。(今までの動きを振り返って)自分の中に深く落ちた動きをフィードバックさせてみよう」と口にする。
参加者たち、思い思いにフィードバックを始めるが、それはそれで別の新しい動きへと発展していく。個別で発展させるのではなくて、相互に影響しあいながら発展していく。
見ていて面白い。
足を踏み鳴らし、手を打ち、服を叩いて、ゆっくり、あるいは速く歩いて、そして立ち止まる。それらの動きは個々の部分が希薄になり、相互に呼応する。無意識のうちに各々の役回りの確定ができつつある。そんな感じがする。・・・ただ、各自、自分のエリア(縄張り)の確立も始めている。絶妙のバランス。
やがて、皆が立ち止まり、体を揺らす。ひとりの始めた休眠期がスムーズに伝染していく様が良い。個人同士が融和しているのがわかる。
しばらくして、参加者は、また一人一人と動き出す。
ここで、羊屋氏の声がかかる。「はじめと一緒で、自分で終わり方も考えてください」
途端に、また個が出始めた。自分のタイミングを探して、一人一人と壁際へ去っていく。
ここまで、約1時間半。
参加者にも私にも、もっともっと短い時間に感じられたが、ちゃんと1時間半たっていた。

続いて、車座になり、ビューポイントについての感想や意見を言い合う。
「戦略を立てて動いていたの?」「何かに似ていると思った瞬間はない?」「頭では何を考えて動いていたの?」などと、橋口氏が会話のきっかけをふっていく。
参加者は、思い思いに言葉を口にして、ワークショップでの自分や全体像を追認していく。話すものだけでなく、聞いているものも頷いたりして追認していく。
ただ、やはり、発せられる言葉に違和感を感じる部分もいくつか出てくる。見ていて感じた部分と、追認していく言葉の部分に乖離が生じたときだ。
人とはそんなものだ、そう思いながら納得する。
各々が何を話したかは、ここでは語らない。この情報が本当に必要なのは参加者たちだけだからである。

休憩と自己紹介を経て、後半に入る。

後半は、橋口氏主導のワークショップ。ホールを札幌市に見立てて、参加者がその上で日常での移動を繰り広げれる。札幌市から出るときの方向をへ歩かされる。
大きく動くもの、ほとんど動かないもの。しかし、単調で、なにか面白くない。
それに対して、眺めていた橋口氏が「コミュニケーションが生まれないから、つまらないのか」と一言。・・・思惑と違ったらしい。
なるほど、この動きでは、すれ違いはあっても、接触がない。当然と言えば当然であるが、そんなものはやってみなければ分からないのが常で、だから実験は楽しいのである。
参加者とのディスカッションが始まる。
「一人でなぞるだけだと、単調になって、つまらない」「もっと、皆が集まるような空間で、室内とか」といった意見が出くる。
橋口氏、修正を加える。「では、室内での動きを再現してみよう。ただし、同じ部屋にいるのではなくて、各々が自分の住んでいる部屋の間取りを浮かべて、その中での行動を再現しよう」「誰かが、自分の場所に入ってきたら、共有して、動作も協力しあおう」
部屋の中心だけを規定して、それ以外の方向や広さなどは各人が判断にゆだねる形で始まる。
まずは、朝からである。各人が、色々な方向、色々な格好で寝ている。すぐに起床するものが現れる。寝続けるものもいる。朝の支度の最中に、何人かがすれ違うが、まだ邂逅までには至らない。
だが、間もなく、接触が起こる。入浴が重なり体を洗いあう者、トイレが重なり尻を拭き合う者、食事を一緒に摂ることになる者などなど、個々のレベルでの接触である。
それだけで、物語性が出てきて、面白さは格段にあがる。
1日目が過ぎて、2日目に入る。
「自分で自由に間取りを変えてもよい」との条件が出さる。それで、やっと、昼食時に一同が会することができた。
間取りを変えられること、一同が会することによって、コミュニケーションの態度が変化し始める。たまたま会ったから時間を共有するという態度から、自分から積極的にコミュニケーションをとろうとする態度への変更である。
ここでワークショップが終わり、ディスカッションが始まる。
前半でのワークショップと異なり、参加者だけでなく、橋口氏も壁にぶつかって惑っている。
「抽象的(な動き)ではなくて、具体的なものなので、言葉が使いたくなる」「自分の感じている時間が、(他の者たちの時間と)合わなくて、それを調整する前に終わってしまった」「食べ物の中身について、お互いに誤解が生じていた」などが示された。
一段落した後に、橋口氏が「空間の最小単位を再現して、そこから世界を広げていきたい」と、未屋氏が「お互いの関係性を作り上げられたら、言葉は減らせる」「1人1人の動き、ルート作りを他の人が外から見ることができれば、どこで邂逅すれば良いかわかってくるはず」と述べる。
翌日は、3人単位でのワークショップを試みようとなる。

最後にテキストの配布となる。
アフリカのボロロ族の民話である。これを(白黒、カラー、部分、拡大)コピーしたり、誤解、歪曲させながら、今につながる話を作り上げて、ショーウィングに持っていきたいと参加者に告げて終了となった。


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2007年07月25日

7月24日(火) 羊屋×橋口クラス レポート

文・弦巻啓太(弦巻楽団)

先ず与えられたテキストについて受講生達が研究発表。聞きながら想像すると、このクラスは古代の神話の文章をテキストにしているようだ。それを元に「物語」としての形・可能性、何でも考えたこと、思ったことを発表してゆく。
「女性の起源」についての文章で、話題は性差、セックス/ジェンダー、男性が語る伝承についてと推移してゆく。
これからこのクラスはこの「文章」を作品にしていくらしい。こんこんと話していく中で、参加者のその文章への「見解」が重なっていく。一致する部分/重ならない部分を探りながら、作品づくりに向けての「スタンス」を共有しようとしてゆく。一時間話し合って、再び体を温める。

休憩後、参加者の一人の指導によりヨガ。
体の仕組みについて様々な発見をしていく。昨日(初日)のワークショップを覗いた時は、思い思いに動いてゆく稽古をしていた。思い思いに動き/コピーし/移動することでアンサンブルが浮かんで来る。リズムが出て来る。
合図ではなく、お互いの存在を感じとろうということか…、と思う。

ヨガでじっくり呼吸を整えて、昨日の試みの発展。「ソフト・フォーカス」(と言うらしい)を応用して、お互いの存在を感じながら、“生活”してみる。
部屋を1DKぐらいの大きさに設定し、ビニールテープで区切っていく。特に「設定」を作らずに3人チームで動いてみる。動きながら台詞を使わずに自然に浮かび上がる関係性を立ち上げていこう、となり、トライ。
特に考えずに即興で動いても、いつの間にか立場や関係性が見えてくる。朝・昼・夜と、時を動かし、10分以上ゆったりとやって、考察。
見てる人が意見を言っていく。橋口さん、羊屋さんから提案。気をつけるポイントが提案されていく。
面白いのは、見てる人が感じた「関係性」が、あまり変わらないところだ。彼と彼女は「姉と弟」、彼は「部屋の主」等々。ただ、やってる方はそんなに意識してた訳ではないのがまた不思議だ。
「言葉で説明しない方が、存在を大きく感じる」との言葉が出る。
チームやメンバーを替えて繰り返す。
後半、二項対立について説明があり、考察。そして実演として「昼」と「夜」をテーマにディベート。
その後、再び「生活」してみるにトライ。

空間にどう存在するか?というアプローチが続く。
最後まで見られずに弦巻は自分の稽古の為、中座。
明日にはどうなってるかな?

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7月24日(火) 青井×槙クラスレポート2

文・鈴木健治(ボランティアスタッフ)




 今日は昨日の感想から入りました。青井先生 槙さん 役者5名 見学者は最大で9名いました。


昨日の感想では、普段の芝居とは質が違うという感想をもった俳優さんもいらしゃった。


槙さんは「いかに自分の言葉としてセリフをしゃべる事ができるのか?」という事を話していました。


そして、本読みに入りました。本格的に始まった気がしました。





登場人物に二人の女性がいるんですが、青井先生いわく 山の手だけど決して気取らない、そして品がある。
下町ではないという解説をしてくれました。

かなりの昔の東京弁だから、役者の方がセリフを読むのに苦労しておられました。


昨日はマイズナーテクニックについて全くわからなかったのですが、今日の先生の説明で少しはわかりました。
そのテクニックのなかでレペテションという技法があるのだそうですが、繰り返し言葉をいう練習方だそうです。

今日のゼミでは二人で行っていました。ある言葉を発し、その言葉に反応し、同じ言葉を永遠に繰り返していく
という技法みたいです。でもこれは、マイズナーテクニックの10分の1位にしか当たらないみたいです。

わかりやすく説明すると





A あなたはきれいだ。 これにBEが反応して、 BEあなたはきれいだ。 これにAが反応して Aあなたはきれいだ。





という事を繰り返して、直前の言葉に反応していくといものだそうです。




それはできるだけ微細な刺激で反応するためのシステムだそうで、説明を受けてすごく納得しました。




その後は、槙さんと青井先生は演技の上での感情について話してました。


青井先生は普段でも、例え結婚式でもお葬式でも感情は先行しない。


だから、演技でも感情は先行しない。


感情は後払い 先に感情を置いたら駄目とタキザワ先生という方がおしゃってたそうです。


そして感情は客払いとも言ってたそうです。





後、余談になるのですが 学校の成績が悪くても男子はいい役者になるそうです。育った環境が悪くても跳ね返せるそうです。
と青井先生が冗談だけどマジとおしゃってました。

じゃあ女子は?と気になる方もいるとおもいますが、あえて書きません。ご想像にお任せします。





そして、本読みした中からどの部分をやるか決めて、槙さんは俳優の感覚でやって修正したいと話し、
それに対し青井先生は感覚だけじゃ難しい。文体を理解しなくてはいけないから。というやりとりがありました。
終了予定時刻の22時を回っても稽古は続いてました。




今日も、青井先生の演技の知識の話に圧倒されました。


仮の話ですが、私が先生の付き人、もしくは弟子いりしても先生の知識に追いつくことは生きている間に可能なのだろうか?なんて考えが浮かびました。


付き人 弟子入りは空想の話ですよ。





明日も青井先生の話が楽しみです!!
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7月24日(火) 青井×槙クラス レポート

文・五十嵐宣勝(ボランティアスタッフ)



青井ゼミ・槙クラス2日目

今回の槙クラスのテーマは”いかにして自分の言葉でセリフをしゃべるか”。

昔のテクストを用いて”いかにしゃべるか””演劇チックになりがちなのをいかにリアルに見せるか”についての研究です。



用意されたテクストは田中澄江「水のほとりの女」。

配布の後に受講生で読み合わせをするも、現代劇では使われていないその文体・言葉に苦戦。青井さんの本作品の背景やこのテクストで用いられている「気取っていない山の手言葉」の解説に受講者もテクストの世界への手掛かりを何となくつかんだ様子でした。



読み合わせ終了後、

槙さんから「感情を演じることは間違っているのではないか」との発言に、

青井さんは「何かの引き金があってこそ感情が生まれる」のであり、

「俳優は”感情以外のあらゆる要素=行動”を計算していくのだ」と回答。

そのためには、このセリフが書かれた意図を先まで見えている必要があり、

その気持ちをどう掘り起こすかは演出と俳優のテクストの読み取り、

テクストの分析・分解をしていかなければならない、と例示をもってお話になっていました。



休憩ののち、槙さんからの提案で、槙さんがワークショップでやっているメソッドを実践してみることに。受講生が「やりたいことをやる」という自由な感覚で発してみる、その判断は自らが常に行っていく、という槙さんのメソッド。

音段階では自由に発することができるものの、

音をセリフに代えてみると、どうもテクストの「字面」に拘束される受講生。

青井さんから、自分のニュアンスに囚われているという指摘ののち、

言葉の本体とはどういうものか、揺るがないニュアンスとは何か、を見つけるために、

青井さんご自身のワークショップで実践されている、複雑なこと・他の要素を付加したテクスト読みの提案があったところで本日は終了。



終了後しばらく思案したのち、何か思いついたような表情の槙さん。

どういう方法で受講生の言葉を、そして概念を解体していくのか、

その先にある表現はどのようなものなのか、

そしてちずさんの「コンカリの床の雑巾がけがいいな」という願いを受け入れるのか、

明日からのワークショップが楽しみです。



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7月23日(月) 青井×すがのゼミレポート

鈴木 健治(ボランティアスタッフ)




 まずは、30分くらい青井先生の演劇の歴史の話から始まった。歴史という言葉が適切かどうかはわからないが。


 専門知識があまりにもない自分にとっては、話に所どころついてはいけなかったのだが、マイズナー・テクニックについての
話。そして、そのテクニックが意識されていないのに組み込まれているという演劇があるという話があり、青井先生の話で自分が一番印象に残っているのは、一つの方法に縛られたくない、そして、せっかく日本といういい加減な国にいるのだから、それを上手く活用するという話。海外研修の話では、女性に多いそうだが、一人の優秀な先生だけをみつけて帰ってくるので、それはもったいないという話。もっと、広く色々と身につけてくるべきだという意見。




翻訳の話もされていた。





1 昨日 恋をした      駅でバスを 降りると


      一目惚れをした





2 昨日 駅でバスを 降りると  恋をした


                   一目惚した





1のセリフの様に訳した方がわかりやすいし伝わりやすいという話。 なるほどっと思った。





その後演劇のビデオを一時間位観る。


その後一時間位は他のゼミも見学してまわった。





 帰ってくると青井先生は、「稽古初日は台詞は完全に覚えてなくていいから、自分の事を3時間くらいしゃべれればいい」とか、「
稽古しながら台詞を完全にしていけばいい」という話をしていた。例えば、「朝日は美しい」という台詞を、最初は「朝日がきれいだ」みたいな感じでもいいと言われていた。

 とにかく青井先生の知識の深さにはおどかされた。ポール・ニューマンやメリル・ストリープなど普通に有名な俳優の話も出てくる
し、歌舞伎の話もでてくる。大学の演劇学部の講義などうけるとこのような感じなかなと勝手に想像した。

 これから、どのような展開になっていくのかが楽しみだ。




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2007年07月24日

7月23日 岡田×渡辺クラス&羊屋×伊藤クラス レポート

文・五十嵐宣勝(ボランティアスタッフ)





岡田ゼミ・渡辺クラスは3日目。

早速テキストを読むところから始まります。



ゼミでは



まず絵(イメージ)を持つこと

そしてその絵(イメージ)と関係を継続していくこと



この2点についての反復で3時間が経過していました。



岡田さんの「絵との関係を継続していくことがいちばん辛いこと」

「演出は役者が本当に絵と関係し続けいているかを疑っていく」という言葉に

渡辺さん、また渡辺クラスの受講生の方も



自分の持っている絵はどんなものなのか

またそれを持ち続けられているのか

その絵とセリフはどのような関係にあるのか



を考え、悩んでいたように見えました。



最終日の明日、光は見えてくるのでしょうか。





パトス・ホールでの羊屋ゼミ・伊藤クラスの初日。

まずはウォーミングアップから。

羊屋さんの指示に最初は動きがぎこちなかった参加者も

しばらくやっていくうちにスムーズになっていきました。



参加者が羊屋さんの指示に従ってホール内を歩いていきます。

動作に関するいろいろなルールが加えられていきます。

伊藤クラスでは対話への土台作りというのがひとつのテーマになっています。

参加者が他者の動作を拾うことで、そのイメージを交感していく。

また拾わないという交感の仕方。

ディスカッションでは自らの交感の仕方、

イメージが交感できた嬉しさなどについて

活発な議論がなされていました。



最後に今回使用するテキストが渡されました。

明日は言葉も加えたイメージの交感をしていくそうです。

どんな展開になるのか楽しみです。

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7月23日 岡田×清水クラス レポート

文・弦巻啓太(弦巻楽団)



いよいよ始まった07年の演劇大学。

札幌の演出家が、東京の演出家の方法論を学びながら作品作りを目指す。

札幌の演劇シーンの活性化…につながるかは置いといて、

参加者や演劇に携わるものにとっては(末席に噛り付いてる僕のような人間にも)

とても面白いものになるだろう。

受け継がれてく物が少ない札幌にとっては、貴重な機会だ。



このクラスは今日で2回目、既にみな顔なじみになってきてるようだ。

使用するテキストは清水さんが選んだベケットの戯曲。

ただ、初めに清水さんから

「三日間ひたすら歩こうと思う。」という言葉。

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その言葉に沿って歩く作業が始まる。

どうやら『クワッド』と言う作品で、正方形の図形を決められた歩数で歩く作品。

受講生は8人。

それぞれ決められた順路で歩き出す。

ルールに沿って歩く人を増やしていく。



途中で岡田さんから意見や提案が出る。

どうやらこの前日に出た、岡田さんの話した中身について。

弦巻は聞いてないので勿論分からない。

ただ、この戯曲やワークショップの「目的」(様々な次元での)について話している

ようだ。



ここまで見て、人の体は履歴書だ、という感想を思う。

歩き方にその人のいろんなものが出てる。面白い。

普段から体を意識してる人、

訓練されてる人、

意識しないようにしてる人(それは意識だけど)、



休憩をはさんで試行錯誤が始まる。

歩くテンポとピアノを挟む。(本当は打楽器にしたいようだ)

なかなかテンポが揃わない。

テンポキープする難しさにみな苦労してる。

また、コースや複雑な『クワッド』のルールに四苦八苦している。

なかなかヤキ・リーベツァイト(ドラマー。同じテンポで何時間も演奏した・…らし

い)のようには行かない。



なかなか上手い形が見出せぬまま終了。

岡田さんが「コレ(この試み)は一旦ここで終了ですね。」

清水さんも「一日考えてくる」とのこと。

翌日からはまた新しい試みがなされるようだ。

大学らしくなってきた。


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交流会の様子・・・・・・無防備な背中がいっぱい

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文・脇野定則(ボランティアスタッフ)

 7/22夕刻、演劇大学の開校式(本当は昨日から開校されているのだけれど)を兼ねた交流会が開始された。
 6つのテーブルを取り巻くように椅子が並べられ、正面には「我が家では憧れの対象」の大画面液晶テレビと、マイクスタンドが3本。
 三々五々、集まっていらっしゃる参加者の方々。ざわざわとした空気が徐々に拡大していく。そして、最後にすがの公氏が到着して交流会が始まった。
「学長」羊屋白玉氏をはじめとする「偉い」方々の挨拶から始まった交流会だが、「ゼミ長」清水友陽氏から、実は交流会が三部構成であることが伝えられる。
 酒が開けられた直後「第一部 講師の方々にご自分のお仕事を語っていただこう」が始まる。
羊屋白玉氏、岡田利規氏、青井陽治氏の順で講話が進められていく。

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皆の手は止まったまま・・・おいおい、こんな状況になるなら、ビールを開けちゃいかんだろう、生ぬるくなるやろ。そんなことを呟きたくなる光景である。
 講話は合計で1時間近く続く・・・ビールはぬるくなる。
 上司の乾杯の挨拶ではないので、誰も「早く終われ」なんて思いもせずに、講師を凝視。
 みーんな、背中が無防備。
 でも、生徒たちの意識や興味が各自でばらばらなのもよく分かる。興味が強い部分がくると、皆、身を乗り出したり、背中に力が入ったりするんだけれど、その部分が各自ばらばらなのだ。しかも、みんな背中が無防備なので、その変化がよく分かる。
 この傾向は、「第三部 各クラスでは、こんなことをやるよ」になるとますます強くなる。
 「第二部 歓談の時間」が功を奏したこともあり、全体の空気から硬さが取れ、その分集中力は上がってしまったようだった。
 「羊屋白玉氏、橋口幸絵氏、伊藤若菜氏」「岡田利規氏、清水友陽氏、渡辺豪氏」「青井陽治氏、槙文彦氏、すがの公氏」の組み合わせで、今大学で展開されていくゼミの概要が説明されていくのだが、各ゼミの見据えた先が違うのである。
 乱暴に各々のテーマをまとめてしまえば、羊屋ゼミは「今の見つめなおし」、岡田ゼミはベケットをテキストにして「言葉への見つめなおし」、青井ゼミは「戯曲の奔流の見つめなおし」といった所だろうか。しかも、アプローチの仕方が教室によって好対照なのである。本当に、うまく振り分けたのものだなと脱帽である。
 正直、全部見て回りたいと思った。

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各クラスの生徒たちが、どんな成果を作り上げていくのか。その結果よりも、過程を見てみたいと思った。
 第三部が終わると、第二部に舞い戻る。
 もうこの時期なると、皆、あつい。本当にテンションが高い。各所で、いろいろな話題で盛り上がっている。しかも、酔っているのに、まともな議論をしている。でも、酔っていないと恥ずかしくて出来ないような議題のものも混ざっている(素面になって後悔しないといいけれど・・・若いっていいな)。
 結局、予定時刻を大幅にオーバーして交流会は終了した。
 すでに私の目はレポーターではなくて、観察者のそれになっている。目の前にいるのは、観察すべき対象でしかない、そんな気がしてきた。
 退屈しない1週間がやってきた、そんな気がした。

・・・それにしても、撤収作業の手際のよさ、さすがは慣れていらっしゃいますね。

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2007年07月21日

見学募集

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いよいよ本日から演劇大学2007in札幌スタートいたします!
各クラスの見学者を引き続き募集いたしております。
ぜひ研究の模様を覗きにいらしてください。

ワークショップ見学
各クラスの研究の模様が見学できます。
日程:7月23日(月)、24日(火)の2日間
料金:1,000円(2日間通し、全クラス見学できます)
会場:生活支援型文化施設コンカリーニョ
      ターミナルプラザことにPATOS
       
※見学日の前日の19時までにご予約ください。

問い合わせ・申し込み
NPO法人コンカリーニョ 
TEL.011-615-4859 FAX.011-615-4866

E-mail:info@concarino.or.jp

各クラスの会場はこちらです↓
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クリックすると大きくなります。


生活支援型文化施設コンカリーニョ・ターミナルプラザことにPATOS MAP

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八軒会館MAP↓

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みなさまのお越しを心よりお待ちいたしております。

 
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青井ゼミ 槙クラス・すがのクラス事前ミーティング

7月9日に講師の青井さんと槙・すがのよる事前ミーティングが行われました。その模様をお伝えいたします。



文:槙 文彦

7月9日午後2時過ぎ〜、目黒にある喫茶店にて。

参加者;青井陽治さん、横尾さん、すがのさん、槙



青井さんとの打ち合わせは午後2時過ぎから6時頃まで、話は作家論から演出論、演技論まで多岐に渡りました。

まずは青井さんの方から、僕達二人がどんな演劇環境の中で育ち、現在どんなことに関心があるかの質問。

僕は高校演劇から始まり、その演技に疑問を持ち松本修さんのワークショップを受けた事、その後劇団を立ち上げて現在俳優がリアルにセリフを発するにはどうすればよいか、に取り組んでいる話をしました。

すがのさんは、自分は自分のやり方でこれまでやってきたけど、今やっていることが果たして演出なのかよくわからないということ、演出ってなんだ?ということが現在の課題であるという話がありました。



まずは槙の関心事について。

槙が、「役者がリアルに、ダイレクトな感覚としてセリフを発するためには、台本の読み込みが時に役者の足かせになる。だから台本は読まない方が良いのではないか」と問題提起したことに対し青井さんは、

「台本が役者の足かせになるのは、台本の読み込みが足りないから」であるとのお話をいただきました。

ある有名な俳優が20代の頃、青井さんに脚本の解釈をお願いしたそうです。青井さんが丁寧に説明したところ、その俳優は「ありがとうございました。これでやっと台本を忘れられる」と話したそうです。普通なら「やっと台本が理解できました」と言うだろうというところを。

青井さんが演技を教える時、俳優にはノートを国語のノートのように縦に使い、左端にセリフを一文、そしてその右側にこの登場人物の気持ちを想像を加えて1ページまるまる書き込ませることがあるそうです。脚本から読み取れる事だけじゃなく、脚本をふまえた上で役を演じる俳優が自由に想像して書き込んでいくと、1ページくらい埋まる。そこまで役を掘り下げていくということです。

一方で、青井さんが演出される時、脚本から離れて稽古する事もあるそうです。

また、俳優が自分の言葉としてセリフを発するには、脚本の性質が大きく影響を及ぼしてくる、俳優がダイレクトな感覚として発しやすいセリフと、そうでないセリフがあるということを、外国語のテキストの翻訳という例を挙げて説明していただきました。


青井さんが一番はじめに演技を勉強し始めた頃、「俳優は脚本家に魂を捧げるものだ」と教えられたそうです。

そしてこの話の流れの中で、「気持ちで演技する」という事に触れ、「気持ちで演技する、という言葉が演劇界からなくなったら、日本の演劇は随分よくなると思う」という事を言っておられました。

さらに「スタニスラフスキーからのさまざまな演技理論は、相反するものではなく、最終的に同じ所に行き着くものである」というようなことも仰っていました。


そしてすがのさんの関心事について。

舞台の演出とは何か。
これには、アメリカでの、ニール・サイモンの作品の舞台化を例にあげ、舞台美術の重要さを教えて頂きました。

この舞台は、舞台の地面に近づく部分(すなわち下方)が大変リアルにつくられていて、舞台の上の方は極めて抽象的につくられていたそうです。そしてこの舞台の演出家は、幕が開いた時点で「これからここで起こるお話は、架空の話なんですよ」と客席に提示している、観客は舞台上で起こるやるせない話を、「ああ、架空の話なんだな」と笑い飛ばして見る事ができる、そんな演出だったと話して頂きました。

すがのさんの研究課題に関しては、すがのさんのつくった作品のDVDを見ていただき、この5日間で取り組んでいくという事です。



槙がこの演劇大学で扱うテキストについて事前に青井さんの方から、「70年代以降のアメリカの芝居か、50年代以前の日本の芝居が良いのでは?  久保田万太郎から田中澄江ぐらいまで。アメリカならMAMET以降。」という指定があったので、その意図する所を伺ったところ、

「人物のありようを作家の都合に合わせて書くのではなく、また作家の言いたい事を人物に言わせているのでもなく、生きる人物のありさまをありのままに書いている」そういう趣旨でした。

槙クラスでは、この進言を受け、久保田万太郎、田中澄江、菊池寛らの作品の中からテキストを選ぼうとおもっています。



槙クラスでは、初日に、槙が現在取り組んでいる演技法、稽古方法を青井さんに見て頂いて、その上で「俳優が、セリフを血の通った言葉として発するにはどうすればよいか?」ということをテーマに5日間、取り組んでいこうという事になりました。

posted by sapporo at 04:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 2007年/青井ゼミ・レポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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