2007年07月27日

7月25日(水) 羊屋×橋口クラス レポート

文・弦巻啓太(弦巻楽団)





今日は羊屋さんの主導でアップ。

二人一組になって体をほぐし、手首や足首を引っ張る事で寝返りを

起こさせていく。

体がきちんと「脱力」してると気持ち良く回る事ができるようだ。

弦巻も橋口さんに誘われやってみる。

脱力は難しい。

見てて唸ったのは省エネで立ち上がる運動。軽やかで美しい。

理屈はわからないが、人間は「立って」ようとすると不自然に力がはいって見える。

「脱力して」むしろ

浮かんでる・上から吊られてる、等、第三者からの力で

「立ってる状態になってる」ように意識したほうが自然に見える。

寝返りや起立でもその法則が適用できるのだなあと一人納得。



そして昨日までの確認、感想、今後どうしていくかを話し合う。

活発な議論とは違うが、全員自分の意見を堂々と話すようになった感じがする。



この日は前日までの「部屋で生活してみる」をひたすら発展させる。

より抽象的にやってみようと言う事で、

「キッチン」「バス・トイレ」「ベッド」等の場所を「労働」「非共有」「休息」

とイメージに広がりをもたせていく。



初め、参加者に昨日のままの意識が残ってて、

「生活」を「説明」してるような感じになっていく。

ここで橋口さんからディレクション。

「もっと抽象的に。部屋じゃない場所にみえてくような」

「行動をもっと形容詞的に」

こう言った言葉を参加者は手探りで模索していく。



しばらく実践して羊屋さんからも提案。

「エリアに入ってから考えるぐらい動いて。」

そう言われると参加者が「物語」を考えすぎて来てた気もする。

もっと欲求のままに動けと言う事か。

偶発的に出会えと言う事か。

「他者への反応が無いと関係性が立ち上がってこない」とも。なるほど。



全員で一度に思うままトライして、感想を述べ合う。

面白かった所、抽象的ながら印象的だった所をピックアップしていく。

このクラスはどうやら

「ボロロ(ポロロ?)族」の伝承を形にしていくつもりのようだ。

この運動と古代を生きる人との日常のつながりを発見しようという試みらしい。

確かに、さっきまで目にしてたものは原始人に見えなくも無い…。



明日からはいよいよテキストに入っていくのかな?





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7月26日(木) 羊屋×伊藤クラス レポート

文・五十嵐宣勝(ボランティアスタッフ)





今回の夜コースで他の2クラスよりも1時間遅く始まる伊藤クラス。

集まりはじめた伊藤クラスの参加者たち。初日とは少し違う雰囲気。

緊張感を保ちつつも、全体の空気が穏やかなのは、

これまでの3日間の成果からかもしれません。



まずはウォーミングアップから。

ウォーミングアップの最中、初日と動きが何か違うなと思っていたのですが、

初日は受講生の中でばらつきがあった体幹の動きが、

みなさん強化されていると感じました。



その後「ビューポイント」へ。

テクストに沿って「彼」「彼女」の役を割り当ててから開始。

ビニールテープで区切られた表現空間の中で動きながら

自らが欲するときにセリフを発していきます。

受講者たちが作る関係性の形成/乖離は

そこにいないであろう見ている者の空間をも侵食していくようです。



終了後ロビーのモニターでディスカッション。

羊屋さんからビューポイント中での興味深い構図を分析。

自然に起こっていた役割の配分

セリフとポーズがリンクしている/していない

それぞれの位置関係が全体として関係性を表現

ひとつの場面についてより深いディスカッションが、

受講生の側からもなされていっています。



ホールに戻り、なおもディスカッションは続けられます。

主な話となったのは「表現空間への入り方」。

表現空間へはいるには、入りたいという「何か」が準備できたときに初めて起こされる行動ですが、

その時「”ゼロ地点”というフラットな状態で」という伊藤さん。

しかし

「やるぞ!という気持ち」

「寝るときの夢の中にはいるときに近い状態」

「呼吸が整ってから/条件付けられるときはその気持ちの勢いで」

という状態で一歩目を踏み出している受講生。

悩む伊藤さん。

さらに表現空間の中に「その空気が生成されたとき=ゼロ地点に同時に入ってもらいたい」という伊藤さん

そのために拍をとるなど試行してみるもなかなか相関性を見出すまでに至らず、

さらに苦悩する伊藤さん。

しかしその苦悩の表情の裏側から、

演出家イトウワカナの、そして伊藤若菜という個人の新たな萌芽が見え隠れするのは

決して偶然ではないと思います。



この密度の濃い講座も残すところあと1日です。



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2007年07月26日

7月23日(月) 羊屋×橋口クラス レポート

「行動原理が剥き出しになる瞬間」

文・脇野定則(ボランティアスタッフ)

7月23日月曜日13時パトスにて、羊屋ゼミ橋口クラスが始まった。
ゆっくりとしたリズムのストレッチが十分に行われていたかと思うと、すうっ、と自然な感じで「ビューポイント」と呼ばれるワークショップが始まった。
まず、4足で歩き始める。掌、足裏の4箇所に均等な力を与えながら、自由気ままに前後左右に歩くように支持される。視線は床を向くけれど、視点を広く取り、気配を探る努力をすれば、容易に誰ともぶつからずに歩き回れるという事実を体験していく。
やがて、立ち上がりたくなったら、2足方向になり、自由に徘徊するように促され、ひとり、またひとりと歩行を始める。
気ままに歩いている。・・・多分、参加者は歩いていると思っているのだろうが、外から見ているとそうではないことが一目瞭然。まだまだ、遠慮があり、何をして良いかが分かりかねていて、羊屋氏の歩いた軌跡を、仕草をなぞっているに過ぎない。
そんな中、一人違ったのが、橋口氏。早くも「まっすぐ行って壁にぶつかり、一瞬止まって、方向転換」という行動をはじめる。しかも、鋭角的、直線的、大回りという軌跡を描く。羊屋氏との接点の多少、クラスで与えられたポジション、その辺りが影響しているのかもしれない。それとも、性格が表に出始めたのか。そんな考えが浮かんだ。
羊屋氏から次の指示が飛ぶ。「部屋の真ん中を通るように歩いて」「(奥の左右の角にある)スピーカーの近くを通過して歩いて」「左回りなので、皆右回りになって」
徐々に参加者が歩くことに馴染んでくる。各自、歩くことのへの自由度の幅か広がり始まる。
見ていて面白い。これは、ひとつの舞台としても良いのではないかと思い始める。ただし、それは、演じる側にはちょっとしたリスクが生じることが、すぐにわかるのだが。
羊屋氏の指示は続く。「極端にやった方が差がわかるから(速度や仕草の変化は大きく示して)」「真っ直ぐに歩いて、曲がる時には直角に歩くようにして」
そして、舞台の正面が決められて、歩くスペースが部屋の半分に制限される(擬似の観客席が設けられ、参加者は知らぬうちに舞台に上げられる)。
さて、ここからが、参加者たちにちょっとしたリスクが生じてくる。各人の性格や行動原理がむき出しになっていく。これを舞台にするのは、ちょっと残酷かなと思うくらいにまで、表面に出てくるのである。
羊屋氏「一番近い壁に寄って止まってください」と指示を出す。「空間に入りたくなったら、入りたいテンポで、真っ直ぐに直角で入ってください」と指示が続く。
少しばかりの無動作の後に、一人目が空間に足を入れる。触発されて、一人また一人と空間に入っていく。流されるように入るものもいれば、タイミングを見て入っていくものもいる。
すでに性格が出始めている。
「歩いている時には、ソフトフォーカスで(視点を集中させないで、視野を大きく広げて、良い意味で漠然とした感じで物を捕らえる)」「出会った時、分かれる時が難しい。90度を守って、清清しく分れる」との指示が出る。
しかし、参加者は逆に考えて歩かざるを得ない状況に追い詰められる。歩き方のストックが尽きてきたのもその理由のひとつだが、他の者との差別化をはからなければという無意識の意識がどこかにあることも見て取れる。
「誰かの仕草の真似をしてみよう。向かい合った相手の何かを真似しても良いし。遠くの人の真似をしても良い」そう言われて、参加者の中に新しい動きが出始める。時間差、誘い、リフレイン、変換、真似の連動、連作など。きっかけを与えられて、生き生きと、次々と新しい動きを取り込みだす。でも、個人差はますます大きく出始める。
「丁寧に伝染が起こっている(もっと緩やかな形も取り入れて)」「もっともっと近付いて、向かい合って、同じタイミングで、分れてみて。集中するとわからなくなるから、ソフトフォーカスを使って」と羊屋氏。
従う参加者たち、更にしばらくして、羊屋氏が指示を出す。「外側から見てみる必要もあるから、自由に抜けたり、入ったりしてみて」
参加者たち、抜けたり、入ってみたりを繰り返しながら、歩き、出会い、分れ、いろいろな真似をする。
動きにルール(傾向)が出来始めたかなと思っていたところ、羊屋氏も「偶然にも2つのパターンが繰り返されることになった。この先は、アクションを増やす必要ない。(今までの動きを振り返って)自分の中に深く落ちた動きをフィードバックさせてみよう」と口にする。
参加者たち、思い思いにフィードバックを始めるが、それはそれで別の新しい動きへと発展していく。個別で発展させるのではなくて、相互に影響しあいながら発展していく。
見ていて面白い。
足を踏み鳴らし、手を打ち、服を叩いて、ゆっくり、あるいは速く歩いて、そして立ち止まる。それらの動きは個々の部分が希薄になり、相互に呼応する。無意識のうちに各々の役回りの確定ができつつある。そんな感じがする。・・・ただ、各自、自分のエリア(縄張り)の確立も始めている。絶妙のバランス。
やがて、皆が立ち止まり、体を揺らす。ひとりの始めた休眠期がスムーズに伝染していく様が良い。個人同士が融和しているのがわかる。
しばらくして、参加者は、また一人一人と動き出す。
ここで、羊屋氏の声がかかる。「はじめと一緒で、自分で終わり方も考えてください」
途端に、また個が出始めた。自分のタイミングを探して、一人一人と壁際へ去っていく。
ここまで、約1時間半。
参加者にも私にも、もっともっと短い時間に感じられたが、ちゃんと1時間半たっていた。

続いて、車座になり、ビューポイントについての感想や意見を言い合う。
「戦略を立てて動いていたの?」「何かに似ていると思った瞬間はない?」「頭では何を考えて動いていたの?」などと、橋口氏が会話のきっかけをふっていく。
参加者は、思い思いに言葉を口にして、ワークショップでの自分や全体像を追認していく。話すものだけでなく、聞いているものも頷いたりして追認していく。
ただ、やはり、発せられる言葉に違和感を感じる部分もいくつか出てくる。見ていて感じた部分と、追認していく言葉の部分に乖離が生じたときだ。
人とはそんなものだ、そう思いながら納得する。
各々が何を話したかは、ここでは語らない。この情報が本当に必要なのは参加者たちだけだからである。

休憩と自己紹介を経て、後半に入る。

後半は、橋口氏主導のワークショップ。ホールを札幌市に見立てて、参加者がその上で日常での移動を繰り広げれる。札幌市から出るときの方向をへ歩かされる。
大きく動くもの、ほとんど動かないもの。しかし、単調で、なにか面白くない。
それに対して、眺めていた橋口氏が「コミュニケーションが生まれないから、つまらないのか」と一言。・・・思惑と違ったらしい。
なるほど、この動きでは、すれ違いはあっても、接触がない。当然と言えば当然であるが、そんなものはやってみなければ分からないのが常で、だから実験は楽しいのである。
参加者とのディスカッションが始まる。
「一人でなぞるだけだと、単調になって、つまらない」「もっと、皆が集まるような空間で、室内とか」といった意見が出くる。
橋口氏、修正を加える。「では、室内での動きを再現してみよう。ただし、同じ部屋にいるのではなくて、各々が自分の住んでいる部屋の間取りを浮かべて、その中での行動を再現しよう」「誰かが、自分の場所に入ってきたら、共有して、動作も協力しあおう」
部屋の中心だけを規定して、それ以外の方向や広さなどは各人が判断にゆだねる形で始まる。
まずは、朝からである。各人が、色々な方向、色々な格好で寝ている。すぐに起床するものが現れる。寝続けるものもいる。朝の支度の最中に、何人かがすれ違うが、まだ邂逅までには至らない。
だが、間もなく、接触が起こる。入浴が重なり体を洗いあう者、トイレが重なり尻を拭き合う者、食事を一緒に摂ることになる者などなど、個々のレベルでの接触である。
それだけで、物語性が出てきて、面白さは格段にあがる。
1日目が過ぎて、2日目に入る。
「自分で自由に間取りを変えてもよい」との条件が出さる。それで、やっと、昼食時に一同が会することができた。
間取りを変えられること、一同が会することによって、コミュニケーションの態度が変化し始める。たまたま会ったから時間を共有するという態度から、自分から積極的にコミュニケーションをとろうとする態度への変更である。
ここでワークショップが終わり、ディスカッションが始まる。
前半でのワークショップと異なり、参加者だけでなく、橋口氏も壁にぶつかって惑っている。
「抽象的(な動き)ではなくて、具体的なものなので、言葉が使いたくなる」「自分の感じている時間が、(他の者たちの時間と)合わなくて、それを調整する前に終わってしまった」「食べ物の中身について、お互いに誤解が生じていた」などが示された。
一段落した後に、橋口氏が「空間の最小単位を再現して、そこから世界を広げていきたい」と、未屋氏が「お互いの関係性を作り上げられたら、言葉は減らせる」「1人1人の動き、ルート作りを他の人が外から見ることができれば、どこで邂逅すれば良いかわかってくるはず」と述べる。
翌日は、3人単位でのワークショップを試みようとなる。

最後にテキストの配布となる。
アフリカのボロロ族の民話である。これを(白黒、カラー、部分、拡大)コピーしたり、誤解、歪曲させながら、今につながる話を作り上げて、ショーウィングに持っていきたいと参加者に告げて終了となった。


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2007年07月25日

7月24日(火) 羊屋×橋口クラス レポート

文・弦巻啓太(弦巻楽団)

先ず与えられたテキストについて受講生達が研究発表。聞きながら想像すると、このクラスは古代の神話の文章をテキストにしているようだ。それを元に「物語」としての形・可能性、何でも考えたこと、思ったことを発表してゆく。
「女性の起源」についての文章で、話題は性差、セックス/ジェンダー、男性が語る伝承についてと推移してゆく。
これからこのクラスはこの「文章」を作品にしていくらしい。こんこんと話していく中で、参加者のその文章への「見解」が重なっていく。一致する部分/重ならない部分を探りながら、作品づくりに向けての「スタンス」を共有しようとしてゆく。一時間話し合って、再び体を温める。

休憩後、参加者の一人の指導によりヨガ。
体の仕組みについて様々な発見をしていく。昨日(初日)のワークショップを覗いた時は、思い思いに動いてゆく稽古をしていた。思い思いに動き/コピーし/移動することでアンサンブルが浮かんで来る。リズムが出て来る。
合図ではなく、お互いの存在を感じとろうということか…、と思う。

ヨガでじっくり呼吸を整えて、昨日の試みの発展。「ソフト・フォーカス」(と言うらしい)を応用して、お互いの存在を感じながら、“生活”してみる。
部屋を1DKぐらいの大きさに設定し、ビニールテープで区切っていく。特に「設定」を作らずに3人チームで動いてみる。動きながら台詞を使わずに自然に浮かび上がる関係性を立ち上げていこう、となり、トライ。
特に考えずに即興で動いても、いつの間にか立場や関係性が見えてくる。朝・昼・夜と、時を動かし、10分以上ゆったりとやって、考察。
見てる人が意見を言っていく。橋口さん、羊屋さんから提案。気をつけるポイントが提案されていく。
面白いのは、見てる人が感じた「関係性」が、あまり変わらないところだ。彼と彼女は「姉と弟」、彼は「部屋の主」等々。ただ、やってる方はそんなに意識してた訳ではないのがまた不思議だ。
「言葉で説明しない方が、存在を大きく感じる」との言葉が出る。
チームやメンバーを替えて繰り返す。
後半、二項対立について説明があり、考察。そして実演として「昼」と「夜」をテーマにディベート。
その後、再び「生活」してみるにトライ。

空間にどう存在するか?というアプローチが続く。
最後まで見られずに弦巻は自分の稽古の為、中座。
明日にはどうなってるかな?

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2007年07月24日

7月23日 岡田×渡辺クラス&羊屋×伊藤クラス レポート

文・五十嵐宣勝(ボランティアスタッフ)





岡田ゼミ・渡辺クラスは3日目。

早速テキストを読むところから始まります。



ゼミでは



まず絵(イメージ)を持つこと

そしてその絵(イメージ)と関係を継続していくこと



この2点についての反復で3時間が経過していました。



岡田さんの「絵との関係を継続していくことがいちばん辛いこと」

「演出は役者が本当に絵と関係し続けいているかを疑っていく」という言葉に

渡辺さん、また渡辺クラスの受講生の方も



自分の持っている絵はどんなものなのか

またそれを持ち続けられているのか

その絵とセリフはどのような関係にあるのか



を考え、悩んでいたように見えました。



最終日の明日、光は見えてくるのでしょうか。





パトス・ホールでの羊屋ゼミ・伊藤クラスの初日。

まずはウォーミングアップから。

羊屋さんの指示に最初は動きがぎこちなかった参加者も

しばらくやっていくうちにスムーズになっていきました。



参加者が羊屋さんの指示に従ってホール内を歩いていきます。

動作に関するいろいろなルールが加えられていきます。

伊藤クラスでは対話への土台作りというのがひとつのテーマになっています。

参加者が他者の動作を拾うことで、そのイメージを交感していく。

また拾わないという交感の仕方。

ディスカッションでは自らの交感の仕方、

イメージが交感できた嬉しさなどについて

活発な議論がなされていました。



最後に今回使用するテキストが渡されました。

明日は言葉も加えたイメージの交感をしていくそうです。

どんな展開になるのか楽しみです。

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2007年07月13日

羊屋ゼミ・橋口クラス事前ミーティング

6月23日に講師の羊屋さんと橋口幸絵による事前ミーティングが行われました。その模様をお伝えいたします。



VFSH01102.JPG

文・橋口幸絵

2007/6/23 18:00より
池の上のカフェにて羊屋講師と打ち合わせ。
 
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先発で打ち合わせだった若菜ちゃんと合流。実際のWS現場で、講師の羊屋さんがどのように指示を出すかについて検討しました。

若菜ちゃんからは

■WSで若菜ちゃんが演出する際、補完作業として同時に羊屋から意見をもらいたい。
 

との提案。これは若菜ちゃんの「役者に伝わる言語がわからない」というものを、どのように補完するかということです。札幌の実行委員会でも、講師の関わり方について意見交換があったのですが、その際出たものは
 

■演出意図をふたりから提示された場合、役者が混乱しないか。
 

というものだったと記憶しています。この辺は、各クラスで綿密に練っておく必要を感じました。私からは昨年の「PSJF」の際、羊屋さんが役者に言語ではなく体を使ったワークで伝えてゆく方法が印象深かったため、若菜ちゃんのイメエジを羊屋さんが具体的なワークにして役者につたえてはどうだろうと提案しました。そのほかに

■テキストと役者を繋ぐ手段をたくさん考える
■そこからチョイスして方向性をきめましょう

という話し合いが行われていました。

19時若菜ちゃん退場。

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さて、橋口との打ち合わせですが、やりたいこともこんがらぐってる状態だったので、雑談から始まりました。羊屋さんが過去に演出した「ななつの大罪」のインタビュー記事を読ませてもらい「靴を脱いだり履いたりする仕草をつける=枷を与えることで、そこから逆に溢れてくるものをすくう」という方法を学んだりしました。


それから9・11当時のNYでの活動のインタビュー記事を読ませていただきました。わたしが羊屋さんに興味を持ったはじまりは、「9・11当時、NYにいたアーティスト」というものでした。9・11で私が感じたものは、自分と世界との距離でした。とおい、と思い、やばい、と思い、自分の作品に政治批判が加わるようになり、でもなんだか違う、と思っていました。だから実際に体験した人に、何かをとても聞きたかったのです。

羊屋さんから頂いたインタビューを読みながら

■実体がないものに批判される
■このわたしを肯定したい


とメモしたものが残ってました。よく憶えてませんが、自分が9・11に対して鈍感なことを、常に透明ななにかに批判されている気持ちだったんだと思います。9・11に対して距離感があったことを、どこかで肯定したかったんだと思います。じっさい羊屋さんの話を聞きながら思ったことは「出来事のひとつ」という当たり前さです。

9・11で中断された公演の復活を決めたとき「わたしには自分のいる場所に責任があったし、世界中でそれぞれが、自分の場所の事情に応じての態度表明を行わなければ、今ある自分を消して戦争という大きな文脈に興奮したり、虚無的に現状を肯定してしまうのではとおもった」という羊屋さんのインタビュー記事に二重線を引きました。わたしが羊屋講師から学びたかったのは、このあたりまえさです。

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さて、次に打ち合わせ前にわたしから羊屋さんに送ったメイルを16枚プリントアウトしたものを前に、その構造を探りました。その内容は

■命題→ああでもないこうでもない→わからなくなってきました→次の命題→ああでもないこうでもない→わからなくなってきました→次の命題→
 

と延々とループを描いた内容なのですが、事前に「構造主義」について調べておくようにとの宿題があったため、わたしのメールがどのような構造になっているか探りました。結果
 

■相殺する二項の対立
■どちらかに選ばなければならない強迫観念


という構造をみつけました。

強迫観念から抜け出すために、そこから
 

■二項を均等に置く。
 

という構図の物語をつくろうと決めました。

テキストですが、橋口から「羊屋さんのものでも橋口のものでもなく真ん中にぶら下がっているのもの」「神話」を使いたいと要望し、それをもとに羊屋さんからレヴィ・ストロースの「なまのものと調理したもの」をテキストに使ってはどうだろうと提案いただきました。これは南米の原始民族に伝わる神話を集め、そこにある共通の構図を読み取ったもので「その構図を使って橋口が書くのはどうだ」と提案いただきました。
 

今回の橋口のテーマは

「現在の演劇はすべて最初に発生した神楽のバリエーションかアンチだ。ほんとうに進化したものはもう演劇とは呼ばずにインターネットの中にあるのだろう。ならば!演劇の正当な継承者でいたい!ので!発生したときの零度を探る!」

というものなのですが、「それを使って役者をどこに連れて行くか」ということを考えるようにと、羊屋さんから指示をいただきました。「『どこに』を英訳すると何ですか?」と伺うと
「now here」だと教えてもらいました。


過去作品のDVDを事前に見ていただいたのですが「遺跡のような強度があるが、そこに少し空いた場所をつくると、それは未来の指南になるのではないか、それが希望なのではないか」という感想をいただきました。
 

今までは神話世界を描きつつ、自分を取り巻く今の空気と解離する不安感も同時にありました。「ああ、なんとか立つ姿に2000年分が詰まった人間を描けないものか」と思っていたのですが、それは今ここにいる自分を、神話世界とおなじ強度で描くこと、発生の零度と現在、その二項を均等に配置し双方が引き合ったり離れてたりする力がドラマの強さになってくるのではないかというお話しをいただきました。
 

ここまでは完全に戯曲WSになってしまいました。

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さて、打ち合わせのほとんどの時間を「何を描くか」に費やしてしまったので、演出のはなしはほんのちょっとになりました。いま、ここにいること。世界の中でじぶんが今どこにどのようにいるこかと云うことを、劇場の空間のなかを、役者がどこにどのようにいるかという事に翻訳しようと思い、今回はその空間での在り方を中心に考えたいと思います。

広い範囲で芸術の持つ方法論を取り入れるため、音楽界で指揮者がどのような方法を持ってコンサートの構成を行っているかの研究を行い、それを演出に取り入れたいと提案。「五線譜上の音符の配置も、空間での在り方ににている」と賛同していただきました。

羊屋さんの行っている方法のなかで「繰り返し」がとても力強く有効だと感じたため、それも取り入れたい旨を伝えました。

「now here」を描くために「今のからだ、いまそのものが写りこんだ」ものへの示唆もありました。
 

これからの作業としては
 

■テキストの作成
■WSの時間割(具体的にどのようなワークを何時間行うか)
■その時間、講師にどのようにいてもらうか
 

の決定を行います。

橋口幸絵
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羊屋ゼミ・伊藤クラス事前ミーティング

去る6月23日、講師の羊屋さんとイトウワカナによる事前ミーティングが行われました。その模様もお伝えいたします。



VFSH0111.JPG

文・イトウワカナ

2007.06.23 14:00〜
下北沢・某カフェ 

はじめまして、の羊屋さんとわかなでのミーティング議事録です。
前日、私の準備が不十分だったことでだいぶご迷惑をかけてしまいました。まずは怒られるぞと緊張して参りましたが、そんなこともなく、緊張も忘れ、ました。開始1時間ほどは、いろいろとお話をしました。 

    
事前準備 
羊屋さん→昨年の遊戯祭intro【NAGAMACHI女ハラキリ】をDVDにて
 
わかな→candies欧州公演、please send junkfood、 candies東京公演をDVDにて
 それぞれ観ておきました。 
それでは議事録です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

      俳優との関係性について
 

テキストを決める、どのようにすすめる、の前に話しました。
自分がいま抱えていること、それが俳優との関係に関してです。

 
○ わかな問題 ○ 
私が役者で稽古にあたる場合、演出からはたくさんの言葉でのヒントをもらったほうがより考えを深められるのですが、大半の役者はそうではないのだ、と自分が演出してみて感じました。俳優達は、まずは体感したがっているのだと思ったのです。そうしてあげたいけれど、何を与えてあげたらいいのか、いまいちわからないのです。 
 

○ 羊屋さんとの会話で出たもの ○
 
「どのように関係をとっていくか」は「最終的になにをするか」で違ってくる。最終的には、テキストを超えさせることを俳優たちに求めたい。
 

俳優に求めることの流れとして、
 
@テキストとの対峙
 
      ↓
   
Aテキストを超える
      ↓
B完成予想(目標到達点)
  

おおざっぱに表しましたが、例えばこういった流れがあります。
Bで、演出が求めているグルーヴ、体感、かたちに行き着くまでのあいだ、たとえば、@で、Aで、そのあいだで、どれだけ最終的なグルーヴへ導く体感を与えるか、を考えなくてはならないということ。また、@の前段階で、何ができるか、を大事にしようということ。たとえば、テキストを見せずに、役の関係性だけを伝えて稽古をすすめる、といったような、ベースの体感づくり をしてみてはどうか、と提案いただきました。

 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

       ことばをつかう、ということ 
 

今回は、ことばの限界点まで近づいてみたい、というテーマを自分に設定しました。
ことばでできること、できないこと、すること、しないこと、を考えてみようとしています。それに関して、出発前に、橋口さんと話していて気づいたことをまずは羊屋さんにお話しました。自分にとってことばの可、不可は

ことばができること    =    理 性  

*********************←恥かしいところ

ことばができないこと  =   本 能
 
 

なのではないかしら、と伝えました。
まず、***部分の恥かしいところ。こことどう付き合うかを考えること。なくしちゃダメだと思うと、羊屋さんは言いました。わたしもそう思います。また、上の図にくわえ、

ことばができること    =    理 性   =  ことばにすること

*********************
 

ことばができないこと   =   本 能   =  ことばにしないこと
 

なのではないか、と羊屋さん。
では、「ことばにしないこと」は、どうするか、という問いに、 ことばにしない=存在する ということで表していきたいと答えました。羊屋さんからは、「もしくは『音楽』で表したり出来たらいいね」ということが出ました。賛成です。 

 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

       テキストについて
 

いよいよ、テキストについてです。
候補 としては、R.D レインのなにか、と自分で書いたnest(仮)というものがあがっていました。どちらも会話主体のテキストです。 羊屋さんからの提案は、メールでのやりとりをみていると、わたしが作家と演出家のあたまが混同しているようにみえたので、まったく人のものを演出し、作家と演出家の自分を切り離して考えてみてはどうだろう、ということでした。わたしもそれには賛成しました。ので、あっさりとレインに決定しました。 

「好き?好き?大好き?」というレインの作品(詩集)を持参していましたので、
とりあえずはその中から選んでみようということになりました。 やるならば、男女の「わたしの〜はすき?」「ああ、とてもすきだよ」といったことがひたすら続く会話のテキスト。(タイトル:好き?好き?大好き?)そして、同じ詩集から、「好き?好き?大好き?」で話している男女だと思う別の作品を、男の子はこれ、女の子はこれ、と挙げました。好き?好き?大好き?をやるのだとしたら、たとえばその前に、
男の子だけの話、女の子だけの話があるといいね、という方向みたいなものができました。

 
○ レインをやるということ 

自分はレインの作品が好きなわけですが、ではそれにあたり何を表すか。
 
たとえば、

      レインの作品を読んでいるときのわたしの気持ち
     どんな気持ちでその日、そのとき、レインを読んだか 

を表す、ことで、
 

         お客さんにわたしと同じ思いを感じて欲しいのか
         わたしはこう思ったのだということを感じて欲しいのか 

といったことを考えました。
「とらえられたい感覚」へ如何に「観客へのアプローチ」をしていくのか。そのために、表すもの、をはっきりさせていこうということになりました。

 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 レインの詩の中には、登場人物の気持ちが本当なのか嘘なのか、読み解けない不思議さがあると思っています。私がそれを読むときも、その日の気分で恐らく、これは本当、これは嘘、といったことが変化しているのだと思います。上記のものにあてはめたとき、 

        
本当なのか嘘なのかわからない
           ↓
         更に、本当のなのか嘘なのかわからない
         本当と嘘のうずに巻き込みたい 

のだと考えました。
 本は何度でも読めるし、読むことで理解を深めていけるものだけれども、舞台とは一回のものだから、じゃあ、そこにしかけをかけてあげよう、と羊屋さんの提案がありました。うずに巻き込むしかけ。↓部分になにがあるのか。考えます。 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 詩というものは、ことばでできることの限界まで突き詰められた表現だと思います。なので、詩世界のことばのしたに流れている感覚、をよみ、その感覚を絵にしていく作業をしよう、となりました。 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

また、 

俳優との関係性について 

ということにもなるのですが、
レインを好きなわたしがレインをやるわけですから、それに発生するモチベーションが確実にあります。それを俳優へどう伝えていくのか=クリエイションをどう求めていくかも考えなさいな、となりました。

 
テキストの前段階でのウォーミングアップ、台詞の前に、台詞の感覚を体感で伝えていく、ということになるのだと思います。考えます。 

その際、【candies】での話を羊屋さんがしてくれました。
バスケットボールをただただ三角パス、していくというシーン。とりあえずただひたすら、俳優には三角パスをしてもらう。ただひたすらやる。すると、次第に俳優達にも美意識のようなものがうまれる。話しあう。また三角パスをする。たとえば、失敗する。失敗した場合のことについて話しあう。 というふうにやってもらっていくことで、次第に作られていくのだそうです。

 
言葉での説明に頼りきりだったわたしには非常に興味深いことです。しかし、そういった『体感』の中で起こってしまったことを大事にしていくことがことばですること、しないこと、に非常に作用するのだと思います。  
  
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  詩ですから、国語的な解釈に向っていきそうな危険もありますが、それだけではなく、感覚を絵にする ということに向けて、ことばの周辺からせめていってはどうだろうと羊屋さんから提案してもらいました。

 
ことばの外堀からイメージを投げかけることで、何かが生産されることがある。それをわたしも見てみたいと思い、やってみようと思っています。たとえば、俳優の得意なことでもいいから、まったく関係ないうごきをしていく、違うイメージを持っていく、 そこで、【ななつの大罪】の話になります。何かしら、障害をもった3人の戸籍上男性を3姉妹に見立てて、それぞれのはなしをしてもらう。ただ話していては障害自慢のようになってしまい、それぞれも話すことに夢中になってしまう。そこへ、靴をゆっくりと脱ぎ、履き、する、という動作を加えることで、その動作が枷になり、役者からまた新しいなにかがうまれてくる、それにより強い説得力や意味が生まれる、 という話をしてもらいました。靴を脱ぎ履きする、というのはそこで生まれたアイディアですか?と聞くと、そう〜やってもらったらよかったの、とのお言葉。目からうろこです。 

このような、テキストと俳優を繋げる何かは、クリエイションの場で発見していこうとなりましたが、
そのアイディアはいくらあってもよい、ので、たくさん考えておきましょう、となりました。  

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俳優にほんの少し、何かを足し、出てきたものを拾い、また返す、動かしたい、から、動かす、のではなく、なにかを与えてあげること、制限することで、動かし、新しい何かがうまれる。制限、とはどういったことでしょう、と聞いてみましたら、あなたの持ち物はこれだけですから、その持ち物でやってみてください、ということ。と、お答えいただきました。

俳優がたくさんのことがらを選んでよい状態から、こちらが選んであげる、
と、俳優の感覚もクリアになっていくのではと思います。それが体感として残っていくのではと思い、こういった方法を実践してみようと思っています。  

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      実際のクリエイションの現場で 

どのように、すすめていきましょうか、ということになります。
3時間の中で、実際に俳優に動いてもらう時間、それをフィードバックする時間、というふうになっていくのでは、ということになりました。私から、羊屋さんも発言してくださいの提案したのですが、やはり俳優が混乱するのでは、と、羊屋さんも私も判断つきかねまして、このあと、橋口さんも交えてこれについて話すことになります。 

橋口さんと合流し、これについてまず投げかけてみました。
 やはり、当初、演劇大学ミーティングの中でも話し合われていたように、ふたりの演出家から意見がでると俳優が混乱するのでは、となりました。私の場合、恐らく、どう進めてよいか、という迷いが出てしまうのでは、という心配から、羊屋さんにも、と求めたのです。ならば、俳優とのフィードバックの時間と、わたしと羊屋さんでのフィードバックの時間を作ってみてはどうだろうという案がでました。また、橋口さん議事録にもあるように、私のイメージを羊屋さんのワークで伝えていく、という方法も有効ではないか、と提案を頂きました。 おおまかなタイムテーブルのようなものは設定しましたが、実際のクリエイションの現場でないとわからないことが多く、その場では保留、ということになりました。 自分のゼミに有効なタイムテーブルを製作してみましょうという宿題になりました。  

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まとめです。 

やはり、今回のテーマは、
ことばのすること、しないこと、如何にしてことばを伝えるか。これは、観客へも、俳優へもということで、私の大きなテーマです。それに向って、俳優がことばを話すまで、 テキストを持つまでの前段階に時間をかけようとまとまりました。 レインをよむ、わたし自身の時間というものを如何に観客に与えるかこちらもまたテーマです。 

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      今後に関して  

テキストを決めていく最中で、出た話をここで書きます。

どうやってレインを知ったのか?という話になりました。
私は、岡崎京子を読んでレインを知りました。岡崎京子へは、小沢健二の音楽からだったかと思います。私は、ことばを扱う多くの作家の中でも、小沢健二のことばが大好きです。じゃあ、小沢健二やってみる?となりましたが、そこはなんだか向っていけないような気がしてやめました。それをふまえて、羊屋さんにわかななりの小沢健二ベストのCDをおくること、と、小沢健二だけじゃない、わかなベストのCDをおくること。 こちらの作業を致します。

出来るだけ、わたしに関して羊屋さんに伝えていかなければ、と。
  レインの原文を自分で訳してみてはどうだろう、という提案もあり、原文のものを探しています。できれば、やってみようかなと思っています。また、レインのほかの作品を読んでみて、もうちょっとレインとよいお付き合いができるような準備をしていきます。それに伴い、テキストの詳細を決定していくこと。 

どういうイメージを持ってテキストに向うのかということを明確にしていくこと。
 レインを読むわたしの時間、というものに対して考えを深め、そのイメージ、理由を明確にしていくこと。  また、クリエイションの現場でのタイムテーブルを詰め、どういった方法で役者の体感をつくっていくのか、ということ。羊屋さんとどういった連携をとっていくのか、ということ。 考えていきます。  

イトウワカナ
posted by sapporo at 01:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 2007年/羊屋ゼミ・レポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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