2007年07月27日

7月25日(水) 青井×すがのクラス レポート

何度も読んで、秘密を抱えていこう。

文・脇野定則(ボランティアスタッフ)


講義のメインは、(台)本読みだった。
塾生は3人。女性が2人に、男性が1人。同性のよしみで男性(彼)の動きを追いかけていく事にしよう。

菅野氏の芝居の1幕を、客席に囲まれた正面のない舞台で試みるらしい。
ひなびた寒村の小さな駅の待合室。男と女と駐在の会話が展開されていく。
3人が3様の過去(秘密)を持っていて、それがお互いの会話にあからさまに絡みついていく。
そんなシーンである。


最初の本読み、彼は待合室の中を歩き回る。言う台詞の中にも幾分かの感情(抑揚)が混ざる。
自分のポジションを確定させようとしているように思った。

360度に開かれた舞台に戸惑う塾生達。どちらからの視線に対して対応したらよいか分からないという。
青井氏がアドバイス「それは逆に言うと、(視線)を気にしなくても良いということ。どちらが正面と言うこともないから、普通に構えてしまえば良い」
この言葉、何気ないようだが、後の集中力の話にかかってくる重いものであった。

菅野氏は、彼が動きながら本を読んだことを捉えて「動くことには目的がある」と言い、それをうけて青井氏が「言葉の本体を語らなければならない。語るために必要な動きだけをすればよい」と継いだ。
更に、青井氏の説明は続く。
「この劇は(時間の加速がない)静かな劇なので、基本的には動かなくて良い。でも、その分、必要な動きはきっちりとしなければならない」
「立ち位置についても、不自然でない距離をしっかりと考える必要がある。同じ台詞でも距離が変わると、ニュアンスが変わってくる。距離を色々変えながら言ってみると、必要なものが見えてくる」
「台詞に、先にニュアンスを付けてしまうと、それが固定化されてしまう。でも本当は、固定化する前に、その台詞の本体を知らなければならない」
「まずは、座っていて、本当に立たなければいけない事が出てくるまで、我慢してじっと座り続けると良い」

台詞の本体を知るために、まずは椅子に座ったままで、棒読みで、本読みを何度も繰り返していこうと言うことになる。
ここから、台詞の本体を知るための、彼の長く辛い苦労が始まるのである。

2回目の本読みが終わる。
青井氏が感想を伝える。
「身体をうずうずさせながらの本読みだったろうが、実は今の方が作家の言いたいことが伝わってくる」
「僕が若い頃は(君たちは下手なのだから)せめて作家の言葉を汚さないで、観客に伝えなさいと言われてきた」
「出来るだけ、フラットにフラットに読んで、そこから醸し出されてくるのを待つと良い。逆に出来るだけ大げさにやって、自分の下手さ加減を知るという方法もあるのだけれど」
菅野氏が続ける。
「棒読みの方が、余計な情報がないので、皆に台詞をしっかりと読もう、聞こうという意識を持たせる」
「(台詞の本質から)かけ離れてしゃべると、観客が本質へ辿り着くことを阻害してしまう」

3回目の本読み。
この辺りから、彼の肩から力が抜けていくのが、未熟な私にも分かるようになる。
台詞が気連見なく私の耳に伝わってくる。
続いて、4回目の本読みを終え、休憩にはいる。

休憩中に聞く青井氏の話が面白い。
「台詞を読んでいる側は(棒読みを心がけて)どんどん無機的になっているように感じるだろうけれど、観ている側から本来あるべき形に近付いてきているのが分かる」
「病人と老人は、どんな名優でも上手く演じられない。何故ならば、俳優は『らしく』しようとするのに対して、当人達は『らしくない』ことを心がけているから。その意識の差が、どうしても(演技の粗として)出てきてしまう」
「喧嘩の演技も難しい。実際の喧嘩のときは、次の一発で決めてやろう、でも相手が倒れずに反撃してくるから、なら今度こそと決めてやる、と言うような意識でやっている。でも、お芝居での喧嘩は(この喧嘩が何処まで続くかを知っているから)最後の部分に向けて徐々に盛り上げていくような演技になりがちである」
皆がそれに耳を傾けているので、結局、休憩が休憩でなくなる。

休憩が終わり、5回目の本読み。
「今度は、座ったままでもいいが、妥当な距離について考えながら、話しかける相手を見るようにして」の指示が出る。
この辺りから、聞いている私の方に変化が出てくる。本の中身が頭に入ってきている事により、素直に聞けないという弊害にぶつかり始めた。多分、プロの演出家だと、これをしっかりとリセット出来るのだろうな。
菅野氏が感想を言う。
「棒読みという演技に入り始めている。(それを改善させ、集中力を取り戻すために)お互いの距離を取って大声で本を読んでください」

6回目の本読み。最初の部分に続きの台詞が若干付加される。
距離と大声という制約、そして後ろについた新しい情報が、(彼と私の)集中力を取り戻させて、自由な感じで台詞が耳に入ってくる。
最初の時と比べると、素人の耳でも、違いが分かる。本当にだいぶ良い。

7回目の本読み。今度は頭の部分に前振りの台詞がいくつか付く。

「(本読みが)だいぶ真っ新になってきた」と青井氏が感想を述べ、そのまま台詞に関する青井氏と菅野氏による講義に入っていく。
「『こそあど』言葉の部分が、何を指し示しているかを的確に意識するようにしなければならない」(青井氏)
「各自のキャラクターが持っている秘密(過去)を各自に増やしていって、自分の中に抱え込んで行かなければならない。それがないと、話は上手く進んでいかない。これを(台本を読み下して、秘密を増やしてくることを)明日までの宿題にしたい」(菅野氏)
「読み込んで、読み込んで、どんどん(登場人物の)因縁を取り込んでいって、それらを抱え込んできてもらって欲しい」(青井氏)
「後は集中力の維持が大事になってくる」(菅野氏)
「僕が若い頃、キャリア10年までの役者には、上手い下手はない。あるのは集中力の差だと言われた」(青井氏)
「本当に集中すると言うことは、一点だけ『ぴしっ』と集中していて、それ以外は解放されている状態を言う。解放と集中は同じ事で、解放するためには、どこか一点で支えてバランスをとらないと巧くいかない」(青井氏)
「能の様に、静かなる集中力。玉三郎などが持っている、存在することによる集中力と言うものもある」(青井)
「(本読みを10回繰り返すにしても)脳をしっかりと使って、集中しながら、10回やっていく必要がある。後になると、最初の何もない時と違ってくるから、その都度別のものを探しながらやっていく必要がある」(菅野氏)
「アニメにおける(発声の)記号化と、舞台での演技による発声は異なってくる。舞台では、自分の持つ全ての声(機能)を役のためにつぎ込んで当然である。(舞台の)役では、大体は我々自身の日常よりもセンセーショナルな目に遭う。だから、俳優は、自分の生活で必要とする声(機能)よりもいくらか割り増しのものを準備しておく必要がある」(青井氏)
「本読みを10回繰り返せる集中力を目指す必要もあるが、それが出来ない自分を認める必要もある」(菅野氏)
「高いレベルのものを見て、このレベルに至るには、自分に何が必要か、やるべきかを、考えながら積み上げていく必要がある」(青井氏)

さて、「各自のキャラクターが持っている秘密(過去)を各自に増やしていって、自分の中に抱え込んでくる」という宿題に対して、その夜、彼はどう苦悩したのだろうか。・・・その様を見てみたかったとも思う。
それにしても、と思う。端からは、年かさの2人が若輩者に無理難題を言っているようにも見えなくはない。青井氏、菅野氏の言っていることの半分は、相応の人生経験の差が出てくる内容で、自分ではどうしうもない(読みとれない)範疇になっている気がする。・・・だからこそ、両氏が丁寧に教えてくれるのかも知れないし、俳優の側も年齢を超えてそれを内に入れていかなければならないのだろう。

posted by sapporo at 21:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 2007年/青井ゼミ・レポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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