2007年07月13日

羊屋ゼミ・橋口クラス事前ミーティング

6月23日に講師の羊屋さんと橋口幸絵による事前ミーティングが行われました。その模様をお伝えいたします。



VFSH01102.JPG

文・橋口幸絵

2007/6/23 18:00より
池の上のカフェにて羊屋講師と打ち合わせ。
 
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先発で打ち合わせだった若菜ちゃんと合流。実際のWS現場で、講師の羊屋さんがどのように指示を出すかについて検討しました。

若菜ちゃんからは

■WSで若菜ちゃんが演出する際、補完作業として同時に羊屋から意見をもらいたい。
 

との提案。これは若菜ちゃんの「役者に伝わる言語がわからない」というものを、どのように補完するかということです。札幌の実行委員会でも、講師の関わり方について意見交換があったのですが、その際出たものは
 

■演出意図をふたりから提示された場合、役者が混乱しないか。
 

というものだったと記憶しています。この辺は、各クラスで綿密に練っておく必要を感じました。私からは昨年の「PSJF」の際、羊屋さんが役者に言語ではなく体を使ったワークで伝えてゆく方法が印象深かったため、若菜ちゃんのイメエジを羊屋さんが具体的なワークにして役者につたえてはどうだろうと提案しました。そのほかに

■テキストと役者を繋ぐ手段をたくさん考える
■そこからチョイスして方向性をきめましょう

という話し合いが行われていました。

19時若菜ちゃん退場。

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さて、橋口との打ち合わせですが、やりたいこともこんがらぐってる状態だったので、雑談から始まりました。羊屋さんが過去に演出した「ななつの大罪」のインタビュー記事を読ませてもらい「靴を脱いだり履いたりする仕草をつける=枷を与えることで、そこから逆に溢れてくるものをすくう」という方法を学んだりしました。


それから9・11当時のNYでの活動のインタビュー記事を読ませていただきました。わたしが羊屋さんに興味を持ったはじまりは、「9・11当時、NYにいたアーティスト」というものでした。9・11で私が感じたものは、自分と世界との距離でした。とおい、と思い、やばい、と思い、自分の作品に政治批判が加わるようになり、でもなんだか違う、と思っていました。だから実際に体験した人に、何かをとても聞きたかったのです。

羊屋さんから頂いたインタビューを読みながら

■実体がないものに批判される
■このわたしを肯定したい


とメモしたものが残ってました。よく憶えてませんが、自分が9・11に対して鈍感なことを、常に透明ななにかに批判されている気持ちだったんだと思います。9・11に対して距離感があったことを、どこかで肯定したかったんだと思います。じっさい羊屋さんの話を聞きながら思ったことは「出来事のひとつ」という当たり前さです。

9・11で中断された公演の復活を決めたとき「わたしには自分のいる場所に責任があったし、世界中でそれぞれが、自分の場所の事情に応じての態度表明を行わなければ、今ある自分を消して戦争という大きな文脈に興奮したり、虚無的に現状を肯定してしまうのではとおもった」という羊屋さんのインタビュー記事に二重線を引きました。わたしが羊屋講師から学びたかったのは、このあたりまえさです。

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さて、次に打ち合わせ前にわたしから羊屋さんに送ったメイルを16枚プリントアウトしたものを前に、その構造を探りました。その内容は

■命題→ああでもないこうでもない→わからなくなってきました→次の命題→ああでもないこうでもない→わからなくなってきました→次の命題→
 

と延々とループを描いた内容なのですが、事前に「構造主義」について調べておくようにとの宿題があったため、わたしのメールがどのような構造になっているか探りました。結果
 

■相殺する二項の対立
■どちらかに選ばなければならない強迫観念


という構造をみつけました。

強迫観念から抜け出すために、そこから
 

■二項を均等に置く。
 

という構図の物語をつくろうと決めました。

テキストですが、橋口から「羊屋さんのものでも橋口のものでもなく真ん中にぶら下がっているのもの」「神話」を使いたいと要望し、それをもとに羊屋さんからレヴィ・ストロースの「なまのものと調理したもの」をテキストに使ってはどうだろうと提案いただきました。これは南米の原始民族に伝わる神話を集め、そこにある共通の構図を読み取ったもので「その構図を使って橋口が書くのはどうだ」と提案いただきました。
 

今回の橋口のテーマは

「現在の演劇はすべて最初に発生した神楽のバリエーションかアンチだ。ほんとうに進化したものはもう演劇とは呼ばずにインターネットの中にあるのだろう。ならば!演劇の正当な継承者でいたい!ので!発生したときの零度を探る!」

というものなのですが、「それを使って役者をどこに連れて行くか」ということを考えるようにと、羊屋さんから指示をいただきました。「『どこに』を英訳すると何ですか?」と伺うと
「now here」だと教えてもらいました。


過去作品のDVDを事前に見ていただいたのですが「遺跡のような強度があるが、そこに少し空いた場所をつくると、それは未来の指南になるのではないか、それが希望なのではないか」という感想をいただきました。
 

今までは神話世界を描きつつ、自分を取り巻く今の空気と解離する不安感も同時にありました。「ああ、なんとか立つ姿に2000年分が詰まった人間を描けないものか」と思っていたのですが、それは今ここにいる自分を、神話世界とおなじ強度で描くこと、発生の零度と現在、その二項を均等に配置し双方が引き合ったり離れてたりする力がドラマの強さになってくるのではないかというお話しをいただきました。
 

ここまでは完全に戯曲WSになってしまいました。

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さて、打ち合わせのほとんどの時間を「何を描くか」に費やしてしまったので、演出のはなしはほんのちょっとになりました。いま、ここにいること。世界の中でじぶんが今どこにどのようにいるこかと云うことを、劇場の空間のなかを、役者がどこにどのようにいるかという事に翻訳しようと思い、今回はその空間での在り方を中心に考えたいと思います。

広い範囲で芸術の持つ方法論を取り入れるため、音楽界で指揮者がどのような方法を持ってコンサートの構成を行っているかの研究を行い、それを演出に取り入れたいと提案。「五線譜上の音符の配置も、空間での在り方ににている」と賛同していただきました。

羊屋さんの行っている方法のなかで「繰り返し」がとても力強く有効だと感じたため、それも取り入れたい旨を伝えました。

「now here」を描くために「今のからだ、いまそのものが写りこんだ」ものへの示唆もありました。
 

これからの作業としては
 

■テキストの作成
■WSの時間割(具体的にどのようなワークを何時間行うか)
■その時間、講師にどのようにいてもらうか
 

の決定を行います。

橋口幸絵
posted by sapporo at 02:21| Comment(1) | TrackBack(0) | 2007年/羊屋ゼミ・レポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
オウムのときに東京にいたアーティストでもいいんじゃないかしら?
ニューヨークと違って、皆殺しにされかかったんだから。
Posted by breakaleg at 2007年07月14日 21:56
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