2007年07月27日

7月25日(水) 青井×すがのクラス レポート

何度も読んで、秘密を抱えていこう。

文・脇野定則(ボランティアスタッフ)


講義のメインは、(台)本読みだった。
塾生は3人。女性が2人に、男性が1人。同性のよしみで男性(彼)の動きを追いかけていく事にしよう。

菅野氏の芝居の1幕を、客席に囲まれた正面のない舞台で試みるらしい。
ひなびた寒村の小さな駅の待合室。男と女と駐在の会話が展開されていく。
3人が3様の過去(秘密)を持っていて、それがお互いの会話にあからさまに絡みついていく。
そんなシーンである。


最初の本読み、彼は待合室の中を歩き回る。言う台詞の中にも幾分かの感情(抑揚)が混ざる。
自分のポジションを確定させようとしているように思った。

360度に開かれた舞台に戸惑う塾生達。どちらからの視線に対して対応したらよいか分からないという。
青井氏がアドバイス「それは逆に言うと、(視線)を気にしなくても良いということ。どちらが正面と言うこともないから、普通に構えてしまえば良い」
この言葉、何気ないようだが、後の集中力の話にかかってくる重いものであった。

菅野氏は、彼が動きながら本を読んだことを捉えて「動くことには目的がある」と言い、それをうけて青井氏が「言葉の本体を語らなければならない。語るために必要な動きだけをすればよい」と継いだ。
更に、青井氏の説明は続く。
「この劇は(時間の加速がない)静かな劇なので、基本的には動かなくて良い。でも、その分、必要な動きはきっちりとしなければならない」
「立ち位置についても、不自然でない距離をしっかりと考える必要がある。同じ台詞でも距離が変わると、ニュアンスが変わってくる。距離を色々変えながら言ってみると、必要なものが見えてくる」
「台詞に、先にニュアンスを付けてしまうと、それが固定化されてしまう。でも本当は、固定化する前に、その台詞の本体を知らなければならない」
「まずは、座っていて、本当に立たなければいけない事が出てくるまで、我慢してじっと座り続けると良い」

台詞の本体を知るために、まずは椅子に座ったままで、棒読みで、本読みを何度も繰り返していこうと言うことになる。
ここから、台詞の本体を知るための、彼の長く辛い苦労が始まるのである。

2回目の本読みが終わる。
青井氏が感想を伝える。
「身体をうずうずさせながらの本読みだったろうが、実は今の方が作家の言いたいことが伝わってくる」
「僕が若い頃は(君たちは下手なのだから)せめて作家の言葉を汚さないで、観客に伝えなさいと言われてきた」
「出来るだけ、フラットにフラットに読んで、そこから醸し出されてくるのを待つと良い。逆に出来るだけ大げさにやって、自分の下手さ加減を知るという方法もあるのだけれど」
菅野氏が続ける。
「棒読みの方が、余計な情報がないので、皆に台詞をしっかりと読もう、聞こうという意識を持たせる」
「(台詞の本質から)かけ離れてしゃべると、観客が本質へ辿り着くことを阻害してしまう」

3回目の本読み。
この辺りから、彼の肩から力が抜けていくのが、未熟な私にも分かるようになる。
台詞が気連見なく私の耳に伝わってくる。
続いて、4回目の本読みを終え、休憩にはいる。

続きを読む
posted by sapporo at 21:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 2007年/青井ゼミ・レポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

7月25日(水) 羊屋×橋口クラス レポート

文・弦巻啓太(弦巻楽団)





今日は羊屋さんの主導でアップ。

二人一組になって体をほぐし、手首や足首を引っ張る事で寝返りを

起こさせていく。

体がきちんと「脱力」してると気持ち良く回る事ができるようだ。

弦巻も橋口さんに誘われやってみる。

脱力は難しい。

見てて唸ったのは省エネで立ち上がる運動。軽やかで美しい。

理屈はわからないが、人間は「立って」ようとすると不自然に力がはいって見える。

「脱力して」むしろ

浮かんでる・上から吊られてる、等、第三者からの力で

「立ってる状態になってる」ように意識したほうが自然に見える。

寝返りや起立でもその法則が適用できるのだなあと一人納得。



そして昨日までの確認、感想、今後どうしていくかを話し合う。

活発な議論とは違うが、全員自分の意見を堂々と話すようになった感じがする。



この日は前日までの「部屋で生活してみる」をひたすら発展させる。

より抽象的にやってみようと言う事で、

「キッチン」「バス・トイレ」「ベッド」等の場所を「労働」「非共有」「休息」

とイメージに広がりをもたせていく。



初め、参加者に昨日のままの意識が残ってて、

「生活」を「説明」してるような感じになっていく。

ここで橋口さんからディレクション。

「もっと抽象的に。部屋じゃない場所にみえてくような」

「行動をもっと形容詞的に」

こう言った言葉を参加者は手探りで模索していく。



しばらく実践して羊屋さんからも提案。

「エリアに入ってから考えるぐらい動いて。」

そう言われると参加者が「物語」を考えすぎて来てた気もする。

もっと欲求のままに動けと言う事か。

偶発的に出会えと言う事か。

「他者への反応が無いと関係性が立ち上がってこない」とも。なるほど。



全員で一度に思うままトライして、感想を述べ合う。

面白かった所、抽象的ながら印象的だった所をピックアップしていく。

このクラスはどうやら

「ボロロ(ポロロ?)族」の伝承を形にしていくつもりのようだ。

この運動と古代を生きる人との日常のつながりを発見しようという試みらしい。

確かに、さっきまで目にしてたものは原始人に見えなくも無い…。



明日からはいよいよテキストに入っていくのかな?





posted by sapporo at 21:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 2007年/羊屋ゼミ・レポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

7月26日(木) 羊屋×伊藤クラス レポート

文・五十嵐宣勝(ボランティアスタッフ)





今回の夜コースで他の2クラスよりも1時間遅く始まる伊藤クラス。

集まりはじめた伊藤クラスの参加者たち。初日とは少し違う雰囲気。

緊張感を保ちつつも、全体の空気が穏やかなのは、

これまでの3日間の成果からかもしれません。



まずはウォーミングアップから。

ウォーミングアップの最中、初日と動きが何か違うなと思っていたのですが、

初日は受講生の中でばらつきがあった体幹の動きが、

みなさん強化されていると感じました。



その後「ビューポイント」へ。

テクストに沿って「彼」「彼女」の役を割り当ててから開始。

ビニールテープで区切られた表現空間の中で動きながら

自らが欲するときにセリフを発していきます。

受講者たちが作る関係性の形成/乖離は

そこにいないであろう見ている者の空間をも侵食していくようです。



終了後ロビーのモニターでディスカッション。

羊屋さんからビューポイント中での興味深い構図を分析。

自然に起こっていた役割の配分

セリフとポーズがリンクしている/していない

それぞれの位置関係が全体として関係性を表現

ひとつの場面についてより深いディスカッションが、

受講生の側からもなされていっています。



ホールに戻り、なおもディスカッションは続けられます。

主な話となったのは「表現空間への入り方」。

表現空間へはいるには、入りたいという「何か」が準備できたときに初めて起こされる行動ですが、

その時「”ゼロ地点”というフラットな状態で」という伊藤さん。

しかし

「やるぞ!という気持ち」

「寝るときの夢の中にはいるときに近い状態」

「呼吸が整ってから/条件付けられるときはその気持ちの勢いで」

という状態で一歩目を踏み出している受講生。

悩む伊藤さん。

さらに表現空間の中に「その空気が生成されたとき=ゼロ地点に同時に入ってもらいたい」という伊藤さん

そのために拍をとるなど試行してみるもなかなか相関性を見出すまでに至らず、

さらに苦悩する伊藤さん。

しかしその苦悩の表情の裏側から、

演出家イトウワカナの、そして伊藤若菜という個人の新たな萌芽が見え隠れするのは

決して偶然ではないと思います。



この密度の濃い講座も残すところあと1日です。



posted by sapporo at 21:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 2007年/羊屋ゼミ・レポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月26日

7月25日(水)青井×すがのクラス レポート

文・鈴木健治(ボランティアスタッフ)




 今日は本読みから始まった。4方向から見られるお芝居という事で、メリットはセットを作らなくていい。壁がいらないというこだそうだ。


 3日後にどういう風にしていくのかの話しあい。当日に向けた練習が始まった。基本セットを作り、セットの中で、読む練習が始まった。



 そこで、菅野さんからまずは上手にセリフを言う事より意味を理解して話すという アドバイスというか注文がでる。


 青井先生からは、静かな演劇のたぐいだから動く必要はない。


 言葉の本体でつなぐ、どうしても動かなければいけない所で動くという解説がされる。





 そして、青井先生とすがのさんの演出が始まる。


 我慢の演技、無駄な動き、無駄な味付け、アクセントをなくすというアドバイスがされた。





 それで演技をしてみる。確かに言いたい事は伝わりやすかった。


 役者は違和感を覚えたみたいだが、青井先生は作家のいいたい事は我慢してやった方が伝わるという解説。


 確かに味付けが入るとわかりずらい。


 そして、タイムを計っての稽古が始まった。





 最後は、お風呂に入ってる事をイメージしてのパントマイム。


 これは、集中力を磨く事、自己開放の訓練ができるという。そこに就職が決まった日など感情表現をのっけるとさらにいいらしい。





 今日はますます演技の深さを知った気がした。
posted by sapporo at 12:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 2007年/青井ゼミ・レポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

7月23日(月) 羊屋×橋口クラス レポート

「行動原理が剥き出しになる瞬間」

文・脇野定則(ボランティアスタッフ)

7月23日月曜日13時パトスにて、羊屋ゼミ橋口クラスが始まった。
ゆっくりとしたリズムのストレッチが十分に行われていたかと思うと、すうっ、と自然な感じで「ビューポイント」と呼ばれるワークショップが始まった。
まず、4足で歩き始める。掌、足裏の4箇所に均等な力を与えながら、自由気ままに前後左右に歩くように支持される。視線は床を向くけれど、視点を広く取り、気配を探る努力をすれば、容易に誰ともぶつからずに歩き回れるという事実を体験していく。
やがて、立ち上がりたくなったら、2足方向になり、自由に徘徊するように促され、ひとり、またひとりと歩行を始める。
気ままに歩いている。・・・多分、参加者は歩いていると思っているのだろうが、外から見ているとそうではないことが一目瞭然。まだまだ、遠慮があり、何をして良いかが分かりかねていて、羊屋氏の歩いた軌跡を、仕草をなぞっているに過ぎない。
そんな中、一人違ったのが、橋口氏。早くも「まっすぐ行って壁にぶつかり、一瞬止まって、方向転換」という行動をはじめる。しかも、鋭角的、直線的、大回りという軌跡を描く。羊屋氏との接点の多少、クラスで与えられたポジション、その辺りが影響しているのかもしれない。それとも、性格が表に出始めたのか。そんな考えが浮かんだ。
羊屋氏から次の指示が飛ぶ。「部屋の真ん中を通るように歩いて」「(奥の左右の角にある)スピーカーの近くを通過して歩いて」「左回りなので、皆右回りになって」
徐々に参加者が歩くことに馴染んでくる。各自、歩くことのへの自由度の幅か広がり始まる。
見ていて面白い。これは、ひとつの舞台としても良いのではないかと思い始める。ただし、それは、演じる側にはちょっとしたリスクが生じることが、すぐにわかるのだが。
羊屋氏の指示は続く。「極端にやった方が差がわかるから(速度や仕草の変化は大きく示して)」「真っ直ぐに歩いて、曲がる時には直角に歩くようにして」
そして、舞台の正面が決められて、歩くスペースが部屋の半分に制限される(擬似の観客席が設けられ、参加者は知らぬうちに舞台に上げられる)。
さて、ここからが、参加者たちにちょっとしたリスクが生じてくる。各人の性格や行動原理がむき出しになっていく。これを舞台にするのは、ちょっと残酷かなと思うくらいにまで、表面に出てくるのである。
羊屋氏「一番近い壁に寄って止まってください」と指示を出す。「空間に入りたくなったら、入りたいテンポで、真っ直ぐに直角で入ってください」と指示が続く。
少しばかりの無動作の後に、一人目が空間に足を入れる。触発されて、一人また一人と空間に入っていく。流されるように入るものもいれば、タイミングを見て入っていくものもいる。
すでに性格が出始めている。
「歩いている時には、ソフトフォーカスで(視点を集中させないで、視野を大きく広げて、良い意味で漠然とした感じで物を捕らえる)」「出会った時、分かれる時が難しい。90度を守って、清清しく分れる」との指示が出る。
しかし、参加者は逆に考えて歩かざるを得ない状況に追い詰められる。歩き方のストックが尽きてきたのもその理由のひとつだが、他の者との差別化をはからなければという無意識の意識がどこかにあることも見て取れる。
「誰かの仕草の真似をしてみよう。向かい合った相手の何かを真似しても良いし。遠くの人の真似をしても良い」そう言われて、参加者の中に新しい動きが出始める。時間差、誘い、リフレイン、変換、真似の連動、連作など。きっかけを与えられて、生き生きと、次々と新しい動きを取り込みだす。でも、個人差はますます大きく出始める。
「丁寧に伝染が起こっている(もっと緩やかな形も取り入れて)」「もっともっと近付いて、向かい合って、同じタイミングで、分れてみて。集中するとわからなくなるから、ソフトフォーカスを使って」と羊屋氏。
従う参加者たち、更にしばらくして、羊屋氏が指示を出す。「外側から見てみる必要もあるから、自由に抜けたり、入ったりしてみて」
参加者たち、抜けたり、入ってみたりを繰り返しながら、歩き、出会い、分れ、いろいろな真似をする。
動きにルール(傾向)が出来始めたかなと思っていたところ、羊屋氏も「偶然にも2つのパターンが繰り返されることになった。この先は、アクションを増やす必要ない。(今までの動きを振り返って)自分の中に深く落ちた動きをフィードバックさせてみよう」と口にする。
参加者たち、思い思いにフィードバックを始めるが、それはそれで別の新しい動きへと発展していく。個別で発展させるのではなくて、相互に影響しあいながら発展していく。
見ていて面白い。
足を踏み鳴らし、手を打ち、服を叩いて、ゆっくり、あるいは速く歩いて、そして立ち止まる。それらの動きは個々の部分が希薄になり、相互に呼応する。無意識のうちに各々の役回りの確定ができつつある。そんな感じがする。・・・ただ、各自、自分のエリア(縄張り)の確立も始めている。絶妙のバランス。
やがて、皆が立ち止まり、体を揺らす。ひとりの始めた休眠期がスムーズに伝染していく様が良い。個人同士が融和しているのがわかる。
しばらくして、参加者は、また一人一人と動き出す。
ここで、羊屋氏の声がかかる。「はじめと一緒で、自分で終わり方も考えてください」
途端に、また個が出始めた。自分のタイミングを探して、一人一人と壁際へ去っていく。
ここまで、約1時間半。
参加者にも私にも、もっともっと短い時間に感じられたが、ちゃんと1時間半たっていた。

続いて、車座になり、ビューポイントについての感想や意見を言い合う。
「戦略を立てて動いていたの?」「何かに似ていると思った瞬間はない?」「頭では何を考えて動いていたの?」などと、橋口氏が会話のきっかけをふっていく。
参加者は、思い思いに言葉を口にして、ワークショップでの自分や全体像を追認していく。話すものだけでなく、聞いているものも頷いたりして追認していく。
ただ、やはり、発せられる言葉に違和感を感じる部分もいくつか出てくる。見ていて感じた部分と、追認していく言葉の部分に乖離が生じたときだ。
人とはそんなものだ、そう思いながら納得する。
各々が何を話したかは、ここでは語らない。この情報が本当に必要なのは参加者たちだけだからである。

休憩と自己紹介を経て、後半に入る。

後半は、橋口氏主導のワークショップ。ホールを札幌市に見立てて、参加者がその上で日常での移動を繰り広げれる。札幌市から出るときの方向をへ歩かされる。
大きく動くもの、ほとんど動かないもの。しかし、単調で、なにか面白くない。
それに対して、眺めていた橋口氏が「コミュニケーションが生まれないから、つまらないのか」と一言。・・・思惑と違ったらしい。
なるほど、この動きでは、すれ違いはあっても、接触がない。当然と言えば当然であるが、そんなものはやってみなければ分からないのが常で、だから実験は楽しいのである。
参加者とのディスカッションが始まる。
「一人でなぞるだけだと、単調になって、つまらない」「もっと、皆が集まるような空間で、室内とか」といった意見が出くる。
橋口氏、修正を加える。「では、室内での動きを再現してみよう。ただし、同じ部屋にいるのではなくて、各々が自分の住んでいる部屋の間取りを浮かべて、その中での行動を再現しよう」「誰かが、自分の場所に入ってきたら、共有して、動作も協力しあおう」
部屋の中心だけを規定して、それ以外の方向や広さなどは各人が判断にゆだねる形で始まる。
まずは、朝からである。各人が、色々な方向、色々な格好で寝ている。すぐに起床するものが現れる。寝続けるものもいる。朝の支度の最中に、何人かがすれ違うが、まだ邂逅までには至らない。
だが、間もなく、接触が起こる。入浴が重なり体を洗いあう者、トイレが重なり尻を拭き合う者、食事を一緒に摂ることになる者などなど、個々のレベルでの接触である。
それだけで、物語性が出てきて、面白さは格段にあがる。
1日目が過ぎて、2日目に入る。
「自分で自由に間取りを変えてもよい」との条件が出さる。それで、やっと、昼食時に一同が会することができた。
間取りを変えられること、一同が会することによって、コミュニケーションの態度が変化し始める。たまたま会ったから時間を共有するという態度から、自分から積極的にコミュニケーションをとろうとする態度への変更である。
ここでワークショップが終わり、ディスカッションが始まる。
前半でのワークショップと異なり、参加者だけでなく、橋口氏も壁にぶつかって惑っている。
「抽象的(な動き)ではなくて、具体的なものなので、言葉が使いたくなる」「自分の感じている時間が、(他の者たちの時間と)合わなくて、それを調整する前に終わってしまった」「食べ物の中身について、お互いに誤解が生じていた」などが示された。
一段落した後に、橋口氏が「空間の最小単位を再現して、そこから世界を広げていきたい」と、未屋氏が「お互いの関係性を作り上げられたら、言葉は減らせる」「1人1人の動き、ルート作りを他の人が外から見ることができれば、どこで邂逅すれば良いかわかってくるはず」と述べる。
翌日は、3人単位でのワークショップを試みようとなる。

最後にテキストの配布となる。
アフリカのボロロ族の民話である。これを(白黒、カラー、部分、拡大)コピーしたり、誤解、歪曲させながら、今につながる話を作り上げて、ショーウィングに持っていきたいと参加者に告げて終了となった。


posted by sapporo at 12:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 2007年/羊屋ゼミ・レポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月25日

7月24日(火) 羊屋×橋口クラス レポート

文・弦巻啓太(弦巻楽団)

先ず与えられたテキストについて受講生達が研究発表。聞きながら想像すると、このクラスは古代の神話の文章をテキストにしているようだ。それを元に「物語」としての形・可能性、何でも考えたこと、思ったことを発表してゆく。
「女性の起源」についての文章で、話題は性差、セックス/ジェンダー、男性が語る伝承についてと推移してゆく。
これからこのクラスはこの「文章」を作品にしていくらしい。こんこんと話していく中で、参加者のその文章への「見解」が重なっていく。一致する部分/重ならない部分を探りながら、作品づくりに向けての「スタンス」を共有しようとしてゆく。一時間話し合って、再び体を温める。

休憩後、参加者の一人の指導によりヨガ。
体の仕組みについて様々な発見をしていく。昨日(初日)のワークショップを覗いた時は、思い思いに動いてゆく稽古をしていた。思い思いに動き/コピーし/移動することでアンサンブルが浮かんで来る。リズムが出て来る。
合図ではなく、お互いの存在を感じとろうということか…、と思う。

ヨガでじっくり呼吸を整えて、昨日の試みの発展。「ソフト・フォーカス」(と言うらしい)を応用して、お互いの存在を感じながら、“生活”してみる。
部屋を1DKぐらいの大きさに設定し、ビニールテープで区切っていく。特に「設定」を作らずに3人チームで動いてみる。動きながら台詞を使わずに自然に浮かび上がる関係性を立ち上げていこう、となり、トライ。
特に考えずに即興で動いても、いつの間にか立場や関係性が見えてくる。朝・昼・夜と、時を動かし、10分以上ゆったりとやって、考察。
見てる人が意見を言っていく。橋口さん、羊屋さんから提案。気をつけるポイントが提案されていく。
面白いのは、見てる人が感じた「関係性」が、あまり変わらないところだ。彼と彼女は「姉と弟」、彼は「部屋の主」等々。ただ、やってる方はそんなに意識してた訳ではないのがまた不思議だ。
「言葉で説明しない方が、存在を大きく感じる」との言葉が出る。
チームやメンバーを替えて繰り返す。
後半、二項対立について説明があり、考察。そして実演として「昼」と「夜」をテーマにディベート。
その後、再び「生活」してみるにトライ。

空間にどう存在するか?というアプローチが続く。
最後まで見られずに弦巻は自分の稽古の為、中座。
明日にはどうなってるかな?

posted by sapporo at 22:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 2007年/羊屋ゼミ・レポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

7月24日(火) 青井×槙クラスレポート2

文・鈴木健治(ボランティアスタッフ)




 今日は昨日の感想から入りました。青井先生 槙さん 役者5名 見学者は最大で9名いました。


昨日の感想では、普段の芝居とは質が違うという感想をもった俳優さんもいらしゃった。


槙さんは「いかに自分の言葉としてセリフをしゃべる事ができるのか?」という事を話していました。


そして、本読みに入りました。本格的に始まった気がしました。





登場人物に二人の女性がいるんですが、青井先生いわく 山の手だけど決して気取らない、そして品がある。
下町ではないという解説をしてくれました。

かなりの昔の東京弁だから、役者の方がセリフを読むのに苦労しておられました。


昨日はマイズナーテクニックについて全くわからなかったのですが、今日の先生の説明で少しはわかりました。
そのテクニックのなかでレペテションという技法があるのだそうですが、繰り返し言葉をいう練習方だそうです。

今日のゼミでは二人で行っていました。ある言葉を発し、その言葉に反応し、同じ言葉を永遠に繰り返していく
という技法みたいです。でもこれは、マイズナーテクニックの10分の1位にしか当たらないみたいです。

わかりやすく説明すると





A あなたはきれいだ。 これにBEが反応して、 BEあなたはきれいだ。 これにAが反応して Aあなたはきれいだ。





という事を繰り返して、直前の言葉に反応していくといものだそうです。




それはできるだけ微細な刺激で反応するためのシステムだそうで、説明を受けてすごく納得しました。




その後は、槙さんと青井先生は演技の上での感情について話してました。


青井先生は普段でも、例え結婚式でもお葬式でも感情は先行しない。


だから、演技でも感情は先行しない。


感情は後払い 先に感情を置いたら駄目とタキザワ先生という方がおしゃってたそうです。


そして感情は客払いとも言ってたそうです。





後、余談になるのですが 学校の成績が悪くても男子はいい役者になるそうです。育った環境が悪くても跳ね返せるそうです。
と青井先生が冗談だけどマジとおしゃってました。

じゃあ女子は?と気になる方もいるとおもいますが、あえて書きません。ご想像にお任せします。





そして、本読みした中からどの部分をやるか決めて、槙さんは俳優の感覚でやって修正したいと話し、
それに対し青井先生は感覚だけじゃ難しい。文体を理解しなくてはいけないから。というやりとりがありました。
終了予定時刻の22時を回っても稽古は続いてました。




今日も、青井先生の演技の知識の話に圧倒されました。


仮の話ですが、私が先生の付き人、もしくは弟子いりしても先生の知識に追いつくことは生きている間に可能なのだろうか?なんて考えが浮かびました。


付き人 弟子入りは空想の話ですよ。





明日も青井先生の話が楽しみです!!
posted by sapporo at 12:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 2007年/青井ゼミ・レポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

7月24日(火) 青井×槙クラス レポート

文・五十嵐宣勝(ボランティアスタッフ)



青井ゼミ・槙クラス2日目

今回の槙クラスのテーマは”いかにして自分の言葉でセリフをしゃべるか”。

昔のテクストを用いて”いかにしゃべるか””演劇チックになりがちなのをいかにリアルに見せるか”についての研究です。



用意されたテクストは田中澄江「水のほとりの女」。

配布の後に受講生で読み合わせをするも、現代劇では使われていないその文体・言葉に苦戦。青井さんの本作品の背景やこのテクストで用いられている「気取っていない山の手言葉」の解説に受講者もテクストの世界への手掛かりを何となくつかんだ様子でした。



読み合わせ終了後、

槙さんから「感情を演じることは間違っているのではないか」との発言に、

青井さんは「何かの引き金があってこそ感情が生まれる」のであり、

「俳優は”感情以外のあらゆる要素=行動”を計算していくのだ」と回答。

そのためには、このセリフが書かれた意図を先まで見えている必要があり、

その気持ちをどう掘り起こすかは演出と俳優のテクストの読み取り、

テクストの分析・分解をしていかなければならない、と例示をもってお話になっていました。



休憩ののち、槙さんからの提案で、槙さんがワークショップでやっているメソッドを実践してみることに。受講生が「やりたいことをやる」という自由な感覚で発してみる、その判断は自らが常に行っていく、という槙さんのメソッド。

音段階では自由に発することができるものの、

音をセリフに代えてみると、どうもテクストの「字面」に拘束される受講生。

青井さんから、自分のニュアンスに囚われているという指摘ののち、

言葉の本体とはどういうものか、揺るがないニュアンスとは何か、を見つけるために、

青井さんご自身のワークショップで実践されている、複雑なこと・他の要素を付加したテクスト読みの提案があったところで本日は終了。



終了後しばらく思案したのち、何か思いついたような表情の槙さん。

どういう方法で受講生の言葉を、そして概念を解体していくのか、

その先にある表現はどのようなものなのか、

そしてちずさんの「コンカリの床の雑巾がけがいいな」という願いを受け入れるのか、

明日からのワークショップが楽しみです。



posted by sapporo at 12:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 2007年/青井ゼミ・レポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

7月23日(月) 青井×すがのゼミレポート

鈴木 健治(ボランティアスタッフ)




 まずは、30分くらい青井先生の演劇の歴史の話から始まった。歴史という言葉が適切かどうかはわからないが。


 専門知識があまりにもない自分にとっては、話に所どころついてはいけなかったのだが、マイズナー・テクニックについての
話。そして、そのテクニックが意識されていないのに組み込まれているという演劇があるという話があり、青井先生の話で自分が一番印象に残っているのは、一つの方法に縛られたくない、そして、せっかく日本といういい加減な国にいるのだから、それを上手く活用するという話。海外研修の話では、女性に多いそうだが、一人の優秀な先生だけをみつけて帰ってくるので、それはもったいないという話。もっと、広く色々と身につけてくるべきだという意見。




翻訳の話もされていた。





1 昨日 恋をした      駅でバスを 降りると


      一目惚れをした





2 昨日 駅でバスを 降りると  恋をした


                   一目惚した





1のセリフの様に訳した方がわかりやすいし伝わりやすいという話。 なるほどっと思った。





その後演劇のビデオを一時間位観る。


その後一時間位は他のゼミも見学してまわった。





 帰ってくると青井先生は、「稽古初日は台詞は完全に覚えてなくていいから、自分の事を3時間くらいしゃべれればいい」とか、「
稽古しながら台詞を完全にしていけばいい」という話をしていた。例えば、「朝日は美しい」という台詞を、最初は「朝日がきれいだ」みたいな感じでもいいと言われていた。

 とにかく青井先生の知識の深さにはおどかされた。ポール・ニューマンやメリル・ストリープなど普通に有名な俳優の話も出てくる
し、歌舞伎の話もでてくる。大学の演劇学部の講義などうけるとこのような感じなかなと勝手に想像した。

 これから、どのような展開になっていくのかが楽しみだ。




posted by sapporo at 12:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 2007年/青井ゼミ・レポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月24日

7月23日 岡田×渡辺クラス&羊屋×伊藤クラス レポート

文・五十嵐宣勝(ボランティアスタッフ)





岡田ゼミ・渡辺クラスは3日目。

早速テキストを読むところから始まります。



ゼミでは



まず絵(イメージ)を持つこと

そしてその絵(イメージ)と関係を継続していくこと



この2点についての反復で3時間が経過していました。



岡田さんの「絵との関係を継続していくことがいちばん辛いこと」

「演出は役者が本当に絵と関係し続けいているかを疑っていく」という言葉に

渡辺さん、また渡辺クラスの受講生の方も



自分の持っている絵はどんなものなのか

またそれを持ち続けられているのか

その絵とセリフはどのような関係にあるのか



を考え、悩んでいたように見えました。



最終日の明日、光は見えてくるのでしょうか。





パトス・ホールでの羊屋ゼミ・伊藤クラスの初日。

まずはウォーミングアップから。

羊屋さんの指示に最初は動きがぎこちなかった参加者も

しばらくやっていくうちにスムーズになっていきました。



参加者が羊屋さんの指示に従ってホール内を歩いていきます。

動作に関するいろいろなルールが加えられていきます。

伊藤クラスでは対話への土台作りというのがひとつのテーマになっています。

参加者が他者の動作を拾うことで、そのイメージを交感していく。

また拾わないという交感の仕方。

ディスカッションでは自らの交感の仕方、

イメージが交感できた嬉しさなどについて

活発な議論がなされていました。



最後に今回使用するテキストが渡されました。

明日は言葉も加えたイメージの交感をしていくそうです。

どんな展開になるのか楽しみです。

posted by sapporo at 13:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 2007年/羊屋ゼミ・レポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

7月23日 岡田×清水クラス レポート

文・弦巻啓太(弦巻楽団)



いよいよ始まった07年の演劇大学。

札幌の演出家が、東京の演出家の方法論を学びながら作品作りを目指す。

札幌の演劇シーンの活性化…につながるかは置いといて、

参加者や演劇に携わるものにとっては(末席に噛り付いてる僕のような人間にも)

とても面白いものになるだろう。

受け継がれてく物が少ない札幌にとっては、貴重な機会だ。



このクラスは今日で2回目、既にみな顔なじみになってきてるようだ。

使用するテキストは清水さんが選んだベケットの戯曲。

ただ、初めに清水さんから

「三日間ひたすら歩こうと思う。」という言葉。

shimizu1.JPG



その言葉に沿って歩く作業が始まる。

どうやら『クワッド』と言う作品で、正方形の図形を決められた歩数で歩く作品。

受講生は8人。

それぞれ決められた順路で歩き出す。

ルールに沿って歩く人を増やしていく。



途中で岡田さんから意見や提案が出る。

どうやらこの前日に出た、岡田さんの話した中身について。

弦巻は聞いてないので勿論分からない。

ただ、この戯曲やワークショップの「目的」(様々な次元での)について話している

ようだ。



ここまで見て、人の体は履歴書だ、という感想を思う。

歩き方にその人のいろんなものが出てる。面白い。

普段から体を意識してる人、

訓練されてる人、

意識しないようにしてる人(それは意識だけど)、



休憩をはさんで試行錯誤が始まる。

歩くテンポとピアノを挟む。(本当は打楽器にしたいようだ)

なかなかテンポが揃わない。

テンポキープする難しさにみな苦労してる。

また、コースや複雑な『クワッド』のルールに四苦八苦している。

なかなかヤキ・リーベツァイト(ドラマー。同じテンポで何時間も演奏した・…らし

い)のようには行かない。



なかなか上手い形が見出せぬまま終了。

岡田さんが「コレ(この試み)は一旦ここで終了ですね。」

清水さんも「一日考えてくる」とのこと。

翌日からはまた新しい試みがなされるようだ。

大学らしくなってきた。


P1010510.JPG

posted by sapporo at 13:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 2007年/岡田ゼミ・レポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

交流会の様子・・・・・・無防備な背中がいっぱい

234.JPG


文・脇野定則(ボランティアスタッフ)

 7/22夕刻、演劇大学の開校式(本当は昨日から開校されているのだけれど)を兼ねた交流会が開始された。
 6つのテーブルを取り巻くように椅子が並べられ、正面には「我が家では憧れの対象」の大画面液晶テレビと、マイクスタンドが3本。
 三々五々、集まっていらっしゃる参加者の方々。ざわざわとした空気が徐々に拡大していく。そして、最後にすがの公氏が到着して交流会が始まった。
「学長」羊屋白玉氏をはじめとする「偉い」方々の挨拶から始まった交流会だが、「ゼミ長」清水友陽氏から、実は交流会が三部構成であることが伝えられる。
 酒が開けられた直後「第一部 講師の方々にご自分のお仕事を語っていただこう」が始まる。
羊屋白玉氏、岡田利規氏、青井陽治氏の順で講話が進められていく。

P1010458.JPG
P1010463.JPG


皆の手は止まったまま・・・おいおい、こんな状況になるなら、ビールを開けちゃいかんだろう、生ぬるくなるやろ。そんなことを呟きたくなる光景である。
 講話は合計で1時間近く続く・・・ビールはぬるくなる。
 上司の乾杯の挨拶ではないので、誰も「早く終われ」なんて思いもせずに、講師を凝視。
 みーんな、背中が無防備。
 でも、生徒たちの意識や興味が各自でばらばらなのもよく分かる。興味が強い部分がくると、皆、身を乗り出したり、背中に力が入ったりするんだけれど、その部分が各自ばらばらなのだ。しかも、みんな背中が無防備なので、その変化がよく分かる。
 この傾向は、「第三部 各クラスでは、こんなことをやるよ」になるとますます強くなる。
 「第二部 歓談の時間」が功を奏したこともあり、全体の空気から硬さが取れ、その分集中力は上がってしまったようだった。
 「羊屋白玉氏、橋口幸絵氏、伊藤若菜氏」「岡田利規氏、清水友陽氏、渡辺豪氏」「青井陽治氏、槙文彦氏、すがの公氏」の組み合わせで、今大学で展開されていくゼミの概要が説明されていくのだが、各ゼミの見据えた先が違うのである。
 乱暴に各々のテーマをまとめてしまえば、羊屋ゼミは「今の見つめなおし」、岡田ゼミはベケットをテキストにして「言葉への見つめなおし」、青井ゼミは「戯曲の奔流の見つめなおし」といった所だろうか。しかも、アプローチの仕方が教室によって好対照なのである。本当に、うまく振り分けたのものだなと脱帽である。
 正直、全部見て回りたいと思った。

P1010488.JPG
P1010496.JPG
P1010498.JPG
 

各クラスの生徒たちが、どんな成果を作り上げていくのか。その結果よりも、過程を見てみたいと思った。
 第三部が終わると、第二部に舞い戻る。
 もうこの時期なると、皆、あつい。本当にテンションが高い。各所で、いろいろな話題で盛り上がっている。しかも、酔っているのに、まともな議論をしている。でも、酔っていないと恥ずかしくて出来ないような議題のものも混ざっている(素面になって後悔しないといいけれど・・・若いっていいな)。
 結局、予定時刻を大幅にオーバーして交流会は終了した。
 すでに私の目はレポーターではなくて、観察者のそれになっている。目の前にいるのは、観察すべき対象でしかない、そんな気がしてきた。
 退屈しない1週間がやってきた、そんな気がした。

・・・それにしても、撤収作業の手際のよさ、さすがは慣れていらっしゃいますね。

P1010467.JPG
P1010476.JPG
P101047u8.JPG
posted by sapporo at 13:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 2007年/交流会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月21日

見学募集

itiran3.JPG
いよいよ本日から演劇大学2007in札幌スタートいたします!
各クラスの見学者を引き続き募集いたしております。
ぜひ研究の模様を覗きにいらしてください。

ワークショップ見学
各クラスの研究の模様が見学できます。
日程:7月23日(月)、24日(火)の2日間
料金:1,000円(2日間通し、全クラス見学できます)
会場:生活支援型文化施設コンカリーニョ
      ターミナルプラザことにPATOS
       
※見学日の前日の19時までにご予約ください。

問い合わせ・申し込み
NPO法人コンカリーニョ 
TEL.011-615-4859 FAX.011-615-4866

E-mail:info@concarino.or.jp

各クラスの会場はこちらです↓
kaijo 2.bmp
クリックすると大きくなります。


生活支援型文化施設コンカリーニョ・ターミナルプラザことにPATOS MAP

tchizu.JPG

八軒会館MAP↓

hachikenkaikan.gif



みなさまのお越しを心よりお待ちいたしております。

 
posted by sapporo at 04:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 2007年/告知 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

青井ゼミ 槙クラス・すがのクラス事前ミーティング

7月9日に講師の青井さんと槙・すがのよる事前ミーティングが行われました。その模様をお伝えいたします。



文:槙 文彦

7月9日午後2時過ぎ〜、目黒にある喫茶店にて。

参加者;青井陽治さん、横尾さん、すがのさん、槙



青井さんとの打ち合わせは午後2時過ぎから6時頃まで、話は作家論から演出論、演技論まで多岐に渡りました。

まずは青井さんの方から、僕達二人がどんな演劇環境の中で育ち、現在どんなことに関心があるかの質問。

僕は高校演劇から始まり、その演技に疑問を持ち松本修さんのワークショップを受けた事、その後劇団を立ち上げて現在俳優がリアルにセリフを発するにはどうすればよいか、に取り組んでいる話をしました。

すがのさんは、自分は自分のやり方でこれまでやってきたけど、今やっていることが果たして演出なのかよくわからないということ、演出ってなんだ?ということが現在の課題であるという話がありました。



まずは槙の関心事について。

槙が、「役者がリアルに、ダイレクトな感覚としてセリフを発するためには、台本の読み込みが時に役者の足かせになる。だから台本は読まない方が良いのではないか」と問題提起したことに対し青井さんは、

「台本が役者の足かせになるのは、台本の読み込みが足りないから」であるとのお話をいただきました。

ある有名な俳優が20代の頃、青井さんに脚本の解釈をお願いしたそうです。青井さんが丁寧に説明したところ、その俳優は「ありがとうございました。これでやっと台本を忘れられる」と話したそうです。普通なら「やっと台本が理解できました」と言うだろうというところを。

青井さんが演技を教える時、俳優にはノートを国語のノートのように縦に使い、左端にセリフを一文、そしてその右側にこの登場人物の気持ちを想像を加えて1ページまるまる書き込ませることがあるそうです。脚本から読み取れる事だけじゃなく、脚本をふまえた上で役を演じる俳優が自由に想像して書き込んでいくと、1ページくらい埋まる。そこまで役を掘り下げていくということです。

一方で、青井さんが演出される時、脚本から離れて稽古する事もあるそうです。

また、俳優が自分の言葉としてセリフを発するには、脚本の性質が大きく影響を及ぼしてくる、俳優がダイレクトな感覚として発しやすいセリフと、そうでないセリフがあるということを、外国語のテキストの翻訳という例を挙げて説明していただきました。


青井さんが一番はじめに演技を勉強し始めた頃、「俳優は脚本家に魂を捧げるものだ」と教えられたそうです。

そしてこの話の流れの中で、「気持ちで演技する」という事に触れ、「気持ちで演技する、という言葉が演劇界からなくなったら、日本の演劇は随分よくなると思う」という事を言っておられました。

さらに「スタニスラフスキーからのさまざまな演技理論は、相反するものではなく、最終的に同じ所に行き着くものである」というようなことも仰っていました。


そしてすがのさんの関心事について。

舞台の演出とは何か。
これには、アメリカでの、ニール・サイモンの作品の舞台化を例にあげ、舞台美術の重要さを教えて頂きました。

この舞台は、舞台の地面に近づく部分(すなわち下方)が大変リアルにつくられていて、舞台の上の方は極めて抽象的につくられていたそうです。そしてこの舞台の演出家は、幕が開いた時点で「これからここで起こるお話は、架空の話なんですよ」と客席に提示している、観客は舞台上で起こるやるせない話を、「ああ、架空の話なんだな」と笑い飛ばして見る事ができる、そんな演出だったと話して頂きました。

すがのさんの研究課題に関しては、すがのさんのつくった作品のDVDを見ていただき、この5日間で取り組んでいくという事です。



槙がこの演劇大学で扱うテキストについて事前に青井さんの方から、「70年代以降のアメリカの芝居か、50年代以前の日本の芝居が良いのでは?  久保田万太郎から田中澄江ぐらいまで。アメリカならMAMET以降。」という指定があったので、その意図する所を伺ったところ、

「人物のありようを作家の都合に合わせて書くのではなく、また作家の言いたい事を人物に言わせているのでもなく、生きる人物のありさまをありのままに書いている」そういう趣旨でした。

槙クラスでは、この進言を受け、久保田万太郎、田中澄江、菊池寛らの作品の中からテキストを選ぼうとおもっています。



槙クラスでは、初日に、槙が現在取り組んでいる演技法、稽古方法を青井さんに見て頂いて、その上で「俳優が、セリフを血の通った言葉として発するにはどうすればよいか?」ということをテーマに5日間、取り組んでいこうという事になりました。

posted by sapporo at 04:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 2007年/青井ゼミ・レポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月17日

岡田ゼミ清水クラス事前ミーティング

7月13日に講師の岡田さんとに清水友陽よる事前ミーティングが行われました。その模様をお伝えいたします。



P7130.JPG

文:清水友陽

場所/急な坂スタジオ
時間/13時から
参加者/岡田さん、渡辺さん、清水





岡田さんが話してくださった内容は
渡辺さんの報告が詳しいので
そちらにおまかせです。

○コトバとカラダの関係性
○岡田さんの考えるリアリズムについて

ということを聞かせていただきました。





岡田さんチームは
渡辺さんも清水もベケットを使うことにしました。

渡辺さんは「行ったり来たり」という戯曲

僕は「クワッド」というベケットのテレビ作品を使おうかと思います。
1984年にかかれた作品で
俳優たちは□の中に×を書いたコースを
ただリズムにあわせて歩くという内容です。
台詞はありません。





僕は最近
戯曲はスポーツのルールブックのようなものだと考えている
ということを岡田さんに話しをしました。
この「クワッド」は説明すると子どもでも出来そうなルールが
描かれているのです。

なので
この作品を選びました。

では
俳優はどうやってこの一歩を役として歩き出すのか
ということを5日間かけて考えていけたらよいと思います。

岡田さんは
実際に先日この「クワッド」の映像化された作品を
ご覧になってきたようで
その話しも聞けたらいいなと思います。

また
今年の3月に岡田さんが演出した
ベケットのラジオ作品「カスカンド」の映像も
ワークショップ中にみせてくださるそうです。

「音声作品が演劇として成立すること」
これは
岡田さんのおっしゃった
コトバとカラダの関係性に繋がるのではないかなあ
それは
文学から独立したものとしてのあり方なのだと
岡田さんはおっしゃってました。

僕は
今回のワークショップで
作品として「クワッド」を成立させるつもりはなく
ただ
前提としては
「これを作品化するならば」ということは考えますが
その過程がショウイングで発表できればと思っています。





実際のワークショップの流れですが
岡田さんと相談して
僕が「クワッド」を作品化するための稽古の仮説を立てていく。
その仮説というのは何でもよくて
話しができるきっかけになればよいのだから
間違っていても何でもよいのだと
岡田さんはアドバイスしてくださったのですが
そこで
俳優も含めて
現場で話しが出来ればよいなと思います。





「クワッド」は台詞が出てこないので
岡田さんのおっしゃる
コトバとカラダの関係を考えるのに
適していないのではないでしょうか
という質問をしたのですが
コトバとは
音声言語のことを言っているのではない
というお話しを聞いて
そうだよなと安心しました。

渡辺さんも書いていますが
「テキストのコトバひとつひとつを
真剣に考えていかなければならない」
ということで
じゃあ
きっとこの「クワッド」というテキストでは
例えば歩いたりすることが
コトバに置き換えられるわけで
やはり
どうやって歩き出すのか

今とても大切なことなのではないかと考えています。

以上
ご報告でした。

しみず
posted by sapporo at 14:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 2007年/岡田ゼミ・レポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

岡田ゼミ渡辺クラス事前ミーティング

7月13日に講師の岡田さんとに渡辺豪よる事前ミーティングが行われました。その模様をお伝えいたします。



070713_1243~0002.jpg

文:渡辺豪

☆場所:横浜市急な坂スタジオ
 
☆参加者:岡田さん、清水、渡辺
 
☆お話の内容

(1)岡田さんが話してくれたこと

岡田さんから
身体と言語の関係性について
お話をお聞きしました。
リアリズムについてお話を聞きました。
リアリズムとは、
「こんな体の動きでこんな風に話したからリアリズムなのダ」
ってことではなく、
メカニズムとして、そこに存在するものらしいと
お話ししてくれました。
たとえるならば、OSみたいなもの。
お芝居のOSって、なんだろ
と、考えていたら、
「身体と言語の関係性」に関連する
と、ご説明いただきました。
 
・・・さらに、深く難しい話になってしまった。
僕のあたまの中のOSはパンク寸前です。
 
絵画には、「印象派」や「写実主義」がありますね、
と、岡田さん。
それらが、絵画のOSみたいなものですよね、
と、岡田さん。
演劇においては、
リアリズム以外に、そんなOSは存在するのか?と
考えているのですと
岡田さんは、話されていました。
 
絵画を描くときに、
画家は絵の具をつくります。
その、絵の具にあたるようなものが、
演劇については
「身体と言語の関係性」なのではないかと
岡田さんは、おっしゃっていました。
 
・・・難しい話なんだけれど
それは、少しだけ想像ができる。
 
今回のWS前半の2日間では、
岡田さんのかんがえていらっしゃる
「身体と言語の関係性」から
どのように作品が立ち上がっているのかを
お話していただけるそうです。
 
・・・それは、ぜひ、きいてみたい。
でも、僕のOSが
パンクしてしまわないか心配です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
☆お話の内容(2)

 どんなテキストをつかうかという話

今回はベケットさんをやってみたいと思いました。
僕が、ベケットさんをやってみたい理由。
正直に言うと
不条理劇にあこがれています。
僕がお芝居を作っている倶知安では
不条理劇に触れることは、
後にも先にもなさそうです。
僕は、わがままなので
できないものにあこがれます。
 
もう一つの理由です。
別役実さんの「ベケットといじめ」を読みました。
おもしろい。
ベケットさんがおもしろいのか、
別役さんの読み解きがおもしろかったのか、
僕にはわかりませんが、
突然、ベケット作品に愛を感じてしまいました。
 
この本の中に出て来る
ベケットさんの
「行ったり来たり」という不条理劇に恋をしました。
 
岡田さんはこういいました。
「言葉はやっかいなものです」
はい、僕もそう思います。
「テキストの言葉一つ一つを
真剣に考えていかなければなりません。」
と、岡田さん。
「言葉一つ一つを真剣に考えられないなら、
テキストには、簡単に触れてはいけません」と
おっしゃられているようにも聞こえました。
(僕の勘違いなら、ご容赦下さい)
そう言われてしまうと、
背筋に冷や汗を感じてしまいます。
これは、やってはいけないことなのかな
と、一瞬だけ後悔しました。
 
しかし、僕はこのテキストに恋をしたので、
「ショウイングで形にならなくてもよいので、
とにかく、
役者さんとこのテキストにふれてみたいんです。」
と、正直に話してみました。
「セリフひとつで終わってしまってもいいので、
僕がこのテキストに触れた結果
なにが、立ち上がるのかを
みてみたいのです」
と、お話ししてみました。
 
「それであるなら、いいと思います」
と、岡田さん。
そして、そのことをショウイングをすることに対する
共通の理解とすることにしました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
☆お話の内容(3) 

今後するべきこと

そういうことでしたので、
まず、ベケットの「行ったり来たり」を
どのように演出してみたいかを
まとめることにしました。
 
しかし、
それはあくまで、事前に描くプランなので、
現場でどんどんかわっていっても
よいのではないかと
そういう話にもなりました。
 
それから、
その演出プランは
役者の「身体と言語の関係性」の中に
しみこんでいけるならベストかもしれませんと
岡田さんがおっしゃっていました。
最初に書いたプランは
あくまでも仮説なので、
どの程度のニアピンになるかということは、
カンであったり、運である。
時間がかかっても、
ピンに近づいていければ
それでいいと思います。
という、岡田さんの言葉も
頭に残っています。
 
今回は上演ではなく、
あくまで、ショウイングなので、
ピンに近づけないおそれもあります。
グリーンにさえ乗らない可能性もあります。
僕のクラブがタマにあたらないことも
あるかもしれません。
まぁ、
それでもいいかと考えています。
今は、そう考えています。
その場合は、説明で補いたいと思います。

渡辺豪
posted by sapporo at 00:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 2007年/岡田ゼミ・レポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月13日

羊屋ゼミ・橋口クラス事前ミーティング

6月23日に講師の羊屋さんと橋口幸絵による事前ミーティングが行われました。その模様をお伝えいたします。



VFSH01102.JPG

文・橋口幸絵

2007/6/23 18:00より
池の上のカフェにて羊屋講師と打ち合わせ。
 
*****************************

先発で打ち合わせだった若菜ちゃんと合流。実際のWS現場で、講師の羊屋さんがどのように指示を出すかについて検討しました。

若菜ちゃんからは

■WSで若菜ちゃんが演出する際、補完作業として同時に羊屋から意見をもらいたい。
 

との提案。これは若菜ちゃんの「役者に伝わる言語がわからない」というものを、どのように補完するかということです。札幌の実行委員会でも、講師の関わり方について意見交換があったのですが、その際出たものは
 

■演出意図をふたりから提示された場合、役者が混乱しないか。
 

というものだったと記憶しています。この辺は、各クラスで綿密に練っておく必要を感じました。私からは昨年の「PSJF」の際、羊屋さんが役者に言語ではなく体を使ったワークで伝えてゆく方法が印象深かったため、若菜ちゃんのイメエジを羊屋さんが具体的なワークにして役者につたえてはどうだろうと提案しました。そのほかに

■テキストと役者を繋ぐ手段をたくさん考える
■そこからチョイスして方向性をきめましょう

という話し合いが行われていました。

19時若菜ちゃん退場。

*****************************


さて、橋口との打ち合わせですが、やりたいこともこんがらぐってる状態だったので、雑談から始まりました。羊屋さんが過去に演出した「ななつの大罪」のインタビュー記事を読ませてもらい「靴を脱いだり履いたりする仕草をつける=枷を与えることで、そこから逆に溢れてくるものをすくう」という方法を学んだりしました。


それから9・11当時のNYでの活動のインタビュー記事を読ませていただきました。わたしが羊屋さんに興味を持ったはじまりは、「9・11当時、NYにいたアーティスト」というものでした。9・11で私が感じたものは、自分と世界との距離でした。とおい、と思い、やばい、と思い、自分の作品に政治批判が加わるようになり、でもなんだか違う、と思っていました。だから実際に体験した人に、何かをとても聞きたかったのです。

羊屋さんから頂いたインタビューを読みながら

■実体がないものに批判される
■このわたしを肯定したい


とメモしたものが残ってました。よく憶えてませんが、自分が9・11に対して鈍感なことを、常に透明ななにかに批判されている気持ちだったんだと思います。9・11に対して距離感があったことを、どこかで肯定したかったんだと思います。じっさい羊屋さんの話を聞きながら思ったことは「出来事のひとつ」という当たり前さです。

9・11で中断された公演の復活を決めたとき「わたしには自分のいる場所に責任があったし、世界中でそれぞれが、自分の場所の事情に応じての態度表明を行わなければ、今ある自分を消して戦争という大きな文脈に興奮したり、虚無的に現状を肯定してしまうのではとおもった」という羊屋さんのインタビュー記事に二重線を引きました。わたしが羊屋講師から学びたかったのは、このあたりまえさです。

*****************************
 

さて、次に打ち合わせ前にわたしから羊屋さんに送ったメイルを16枚プリントアウトしたものを前に、その構造を探りました。その内容は

■命題→ああでもないこうでもない→わからなくなってきました→次の命題→ああでもないこうでもない→わからなくなってきました→次の命題→
 

と延々とループを描いた内容なのですが、事前に「構造主義」について調べておくようにとの宿題があったため、わたしのメールがどのような構造になっているか探りました。結果
 

■相殺する二項の対立
■どちらかに選ばなければならない強迫観念


という構造をみつけました。

強迫観念から抜け出すために、そこから
 

■二項を均等に置く。
 

という構図の物語をつくろうと決めました。

テキストですが、橋口から「羊屋さんのものでも橋口のものでもなく真ん中にぶら下がっているのもの」「神話」を使いたいと要望し、それをもとに羊屋さんからレヴィ・ストロースの「なまのものと調理したもの」をテキストに使ってはどうだろうと提案いただきました。これは南米の原始民族に伝わる神話を集め、そこにある共通の構図を読み取ったもので「その構図を使って橋口が書くのはどうだ」と提案いただきました。
 

今回の橋口のテーマは

「現在の演劇はすべて最初に発生した神楽のバリエーションかアンチだ。ほんとうに進化したものはもう演劇とは呼ばずにインターネットの中にあるのだろう。ならば!演劇の正当な継承者でいたい!ので!発生したときの零度を探る!」

というものなのですが、「それを使って役者をどこに連れて行くか」ということを考えるようにと、羊屋さんから指示をいただきました。「『どこに』を英訳すると何ですか?」と伺うと
「now here」だと教えてもらいました。


過去作品のDVDを事前に見ていただいたのですが「遺跡のような強度があるが、そこに少し空いた場所をつくると、それは未来の指南になるのではないか、それが希望なのではないか」という感想をいただきました。
 

今までは神話世界を描きつつ、自分を取り巻く今の空気と解離する不安感も同時にありました。「ああ、なんとか立つ姿に2000年分が詰まった人間を描けないものか」と思っていたのですが、それは今ここにいる自分を、神話世界とおなじ強度で描くこと、発生の零度と現在、その二項を均等に配置し双方が引き合ったり離れてたりする力がドラマの強さになってくるのではないかというお話しをいただきました。
 

ここまでは完全に戯曲WSになってしまいました。

*****************************


さて、打ち合わせのほとんどの時間を「何を描くか」に費やしてしまったので、演出のはなしはほんのちょっとになりました。いま、ここにいること。世界の中でじぶんが今どこにどのようにいるこかと云うことを、劇場の空間のなかを、役者がどこにどのようにいるかという事に翻訳しようと思い、今回はその空間での在り方を中心に考えたいと思います。

広い範囲で芸術の持つ方法論を取り入れるため、音楽界で指揮者がどのような方法を持ってコンサートの構成を行っているかの研究を行い、それを演出に取り入れたいと提案。「五線譜上の音符の配置も、空間での在り方ににている」と賛同していただきました。

羊屋さんの行っている方法のなかで「繰り返し」がとても力強く有効だと感じたため、それも取り入れたい旨を伝えました。

「now here」を描くために「今のからだ、いまそのものが写りこんだ」ものへの示唆もありました。
 

これからの作業としては
 

■テキストの作成
■WSの時間割(具体的にどのようなワークを何時間行うか)
■その時間、講師にどのようにいてもらうか
 

の決定を行います。

橋口幸絵
posted by sapporo at 02:21| Comment(1) | TrackBack(0) | 2007年/羊屋ゼミ・レポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

羊屋ゼミ・伊藤クラス事前ミーティング

去る6月23日、講師の羊屋さんとイトウワカナによる事前ミーティングが行われました。その模様もお伝えいたします。



VFSH0111.JPG

文・イトウワカナ

2007.06.23 14:00〜
下北沢・某カフェ 

はじめまして、の羊屋さんとわかなでのミーティング議事録です。
前日、私の準備が不十分だったことでだいぶご迷惑をかけてしまいました。まずは怒られるぞと緊張して参りましたが、そんなこともなく、緊張も忘れ、ました。開始1時間ほどは、いろいろとお話をしました。 

    
事前準備 
羊屋さん→昨年の遊戯祭intro【NAGAMACHI女ハラキリ】をDVDにて
 
わかな→candies欧州公演、please send junkfood、 candies東京公演をDVDにて
 それぞれ観ておきました。 
それでは議事録です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

      俳優との関係性について
 

テキストを決める、どのようにすすめる、の前に話しました。
自分がいま抱えていること、それが俳優との関係に関してです。

 
○ わかな問題 ○ 
私が役者で稽古にあたる場合、演出からはたくさんの言葉でのヒントをもらったほうがより考えを深められるのですが、大半の役者はそうではないのだ、と自分が演出してみて感じました。俳優達は、まずは体感したがっているのだと思ったのです。そうしてあげたいけれど、何を与えてあげたらいいのか、いまいちわからないのです。 
 

○ 羊屋さんとの会話で出たもの ○
 
「どのように関係をとっていくか」は「最終的になにをするか」で違ってくる。最終的には、テキストを超えさせることを俳優たちに求めたい。
 

俳優に求めることの流れとして、
 
@テキストとの対峙
 
      ↓
   
Aテキストを超える
      ↓
B完成予想(目標到達点)
  

おおざっぱに表しましたが、例えばこういった流れがあります。
Bで、演出が求めているグルーヴ、体感、かたちに行き着くまでのあいだ、たとえば、@で、Aで、そのあいだで、どれだけ最終的なグルーヴへ導く体感を与えるか、を考えなくてはならないということ。また、@の前段階で、何ができるか、を大事にしようということ。たとえば、テキストを見せずに、役の関係性だけを伝えて稽古をすすめる、といったような、ベースの体感づくり をしてみてはどうか、と提案いただきました。

 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

       ことばをつかう、ということ 
 

今回は、ことばの限界点まで近づいてみたい、というテーマを自分に設定しました。
ことばでできること、できないこと、すること、しないこと、を考えてみようとしています。それに関して、出発前に、橋口さんと話していて気づいたことをまずは羊屋さんにお話しました。自分にとってことばの可、不可は

ことばができること    =    理 性  

*********************←恥かしいところ

ことばができないこと  =   本 能
 
 

なのではないかしら、と伝えました。
まず、***部分の恥かしいところ。こことどう付き合うかを考えること。なくしちゃダメだと思うと、羊屋さんは言いました。わたしもそう思います。また、上の図にくわえ、

ことばができること    =    理 性   =  ことばにすること

*********************
 

ことばができないこと   =   本 能   =  ことばにしないこと
 

なのではないか、と羊屋さん。
では、「ことばにしないこと」は、どうするか、という問いに、 ことばにしない=存在する ということで表していきたいと答えました。羊屋さんからは、「もしくは『音楽』で表したり出来たらいいね」ということが出ました。賛成です。 

 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

       テキストについて
 

いよいよ、テキストについてです。
候補 としては、R.D レインのなにか、と自分で書いたnest(仮)というものがあがっていました。どちらも会話主体のテキストです。 羊屋さんからの提案は、メールでのやりとりをみていると、わたしが作家と演出家のあたまが混同しているようにみえたので、まったく人のものを演出し、作家と演出家の自分を切り離して考えてみてはどうだろう、ということでした。わたしもそれには賛成しました。ので、あっさりとレインに決定しました。 

「好き?好き?大好き?」というレインの作品(詩集)を持参していましたので、
とりあえずはその中から選んでみようということになりました。 やるならば、男女の「わたしの〜はすき?」「ああ、とてもすきだよ」といったことがひたすら続く会話のテキスト。(タイトル:好き?好き?大好き?)そして、同じ詩集から、「好き?好き?大好き?」で話している男女だと思う別の作品を、男の子はこれ、女の子はこれ、と挙げました。好き?好き?大好き?をやるのだとしたら、たとえばその前に、
男の子だけの話、女の子だけの話があるといいね、という方向みたいなものができました。

 
○ レインをやるということ 

自分はレインの作品が好きなわけですが、ではそれにあたり何を表すか。
 
たとえば、

      レインの作品を読んでいるときのわたしの気持ち
     どんな気持ちでその日、そのとき、レインを読んだか 

を表す、ことで、
 

         お客さんにわたしと同じ思いを感じて欲しいのか
         わたしはこう思ったのだということを感じて欲しいのか 

といったことを考えました。
「とらえられたい感覚」へ如何に「観客へのアプローチ」をしていくのか。そのために、表すもの、をはっきりさせていこうということになりました。

 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 レインの詩の中には、登場人物の気持ちが本当なのか嘘なのか、読み解けない不思議さがあると思っています。私がそれを読むときも、その日の気分で恐らく、これは本当、これは嘘、といったことが変化しているのだと思います。上記のものにあてはめたとき、 

        
本当なのか嘘なのかわからない
           ↓
         更に、本当のなのか嘘なのかわからない
         本当と嘘のうずに巻き込みたい 

のだと考えました。
 本は何度でも読めるし、読むことで理解を深めていけるものだけれども、舞台とは一回のものだから、じゃあ、そこにしかけをかけてあげよう、と羊屋さんの提案がありました。うずに巻き込むしかけ。↓部分になにがあるのか。考えます。 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 詩というものは、ことばでできることの限界まで突き詰められた表現だと思います。なので、詩世界のことばのしたに流れている感覚、をよみ、その感覚を絵にしていく作業をしよう、となりました。 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

また、 

俳優との関係性について 

ということにもなるのですが、
レインを好きなわたしがレインをやるわけですから、それに発生するモチベーションが確実にあります。それを俳優へどう伝えていくのか=クリエイションをどう求めていくかも考えなさいな、となりました。

 
テキストの前段階でのウォーミングアップ、台詞の前に、台詞の感覚を体感で伝えていく、ということになるのだと思います。考えます。 

その際、【candies】での話を羊屋さんがしてくれました。
バスケットボールをただただ三角パス、していくというシーン。とりあえずただひたすら、俳優には三角パスをしてもらう。ただひたすらやる。すると、次第に俳優達にも美意識のようなものがうまれる。話しあう。また三角パスをする。たとえば、失敗する。失敗した場合のことについて話しあう。 というふうにやってもらっていくことで、次第に作られていくのだそうです。

 
言葉での説明に頼りきりだったわたしには非常に興味深いことです。しかし、そういった『体感』の中で起こってしまったことを大事にしていくことがことばですること、しないこと、に非常に作用するのだと思います。  
  
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  詩ですから、国語的な解釈に向っていきそうな危険もありますが、それだけではなく、感覚を絵にする ということに向けて、ことばの周辺からせめていってはどうだろうと羊屋さんから提案してもらいました。

 
ことばの外堀からイメージを投げかけることで、何かが生産されることがある。それをわたしも見てみたいと思い、やってみようと思っています。たとえば、俳優の得意なことでもいいから、まったく関係ないうごきをしていく、違うイメージを持っていく、 そこで、【ななつの大罪】の話になります。何かしら、障害をもった3人の戸籍上男性を3姉妹に見立てて、それぞれのはなしをしてもらう。ただ話していては障害自慢のようになってしまい、それぞれも話すことに夢中になってしまう。そこへ、靴をゆっくりと脱ぎ、履き、する、という動作を加えることで、その動作が枷になり、役者からまた新しいなにかがうまれてくる、それにより強い説得力や意味が生まれる、 という話をしてもらいました。靴を脱ぎ履きする、というのはそこで生まれたアイディアですか?と聞くと、そう〜やってもらったらよかったの、とのお言葉。目からうろこです。 

このような、テキストと俳優を繋げる何かは、クリエイションの場で発見していこうとなりましたが、
そのアイディアはいくらあってもよい、ので、たくさん考えておきましょう、となりました。  

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

俳優にほんの少し、何かを足し、出てきたものを拾い、また返す、動かしたい、から、動かす、のではなく、なにかを与えてあげること、制限することで、動かし、新しい何かがうまれる。制限、とはどういったことでしょう、と聞いてみましたら、あなたの持ち物はこれだけですから、その持ち物でやってみてください、ということ。と、お答えいただきました。

俳優がたくさんのことがらを選んでよい状態から、こちらが選んであげる、
と、俳優の感覚もクリアになっていくのではと思います。それが体感として残っていくのではと思い、こういった方法を実践してみようと思っています。  

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


      実際のクリエイションの現場で 

どのように、すすめていきましょうか、ということになります。
3時間の中で、実際に俳優に動いてもらう時間、それをフィードバックする時間、というふうになっていくのでは、ということになりました。私から、羊屋さんも発言してくださいの提案したのですが、やはり俳優が混乱するのでは、と、羊屋さんも私も判断つきかねまして、このあと、橋口さんも交えてこれについて話すことになります。 

橋口さんと合流し、これについてまず投げかけてみました。
 やはり、当初、演劇大学ミーティングの中でも話し合われていたように、ふたりの演出家から意見がでると俳優が混乱するのでは、となりました。私の場合、恐らく、どう進めてよいか、という迷いが出てしまうのでは、という心配から、羊屋さんにも、と求めたのです。ならば、俳優とのフィードバックの時間と、わたしと羊屋さんでのフィードバックの時間を作ってみてはどうだろうという案がでました。また、橋口さん議事録にもあるように、私のイメージを羊屋さんのワークで伝えていく、という方法も有効ではないか、と提案を頂きました。 おおまかなタイムテーブルのようなものは設定しましたが、実際のクリエイションの現場でないとわからないことが多く、その場では保留、ということになりました。 自分のゼミに有効なタイムテーブルを製作してみましょうという宿題になりました。  

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

まとめです。 

やはり、今回のテーマは、
ことばのすること、しないこと、如何にしてことばを伝えるか。これは、観客へも、俳優へもということで、私の大きなテーマです。それに向って、俳優がことばを話すまで、 テキストを持つまでの前段階に時間をかけようとまとまりました。 レインをよむ、わたし自身の時間というものを如何に観客に与えるかこちらもまたテーマです。 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

      今後に関して  

テキストを決めていく最中で、出た話をここで書きます。

どうやってレインを知ったのか?という話になりました。
私は、岡崎京子を読んでレインを知りました。岡崎京子へは、小沢健二の音楽からだったかと思います。私は、ことばを扱う多くの作家の中でも、小沢健二のことばが大好きです。じゃあ、小沢健二やってみる?となりましたが、そこはなんだか向っていけないような気がしてやめました。それをふまえて、羊屋さんにわかななりの小沢健二ベストのCDをおくること、と、小沢健二だけじゃない、わかなベストのCDをおくること。 こちらの作業を致します。

出来るだけ、わたしに関して羊屋さんに伝えていかなければ、と。
  レインの原文を自分で訳してみてはどうだろう、という提案もあり、原文のものを探しています。できれば、やってみようかなと思っています。また、レインのほかの作品を読んでみて、もうちょっとレインとよいお付き合いができるような準備をしていきます。それに伴い、テキストの詳細を決定していくこと。 

どういうイメージを持ってテキストに向うのかということを明確にしていくこと。
 レインを読むわたしの時間、というものに対して考えを深め、そのイメージ、理由を明確にしていくこと。  また、クリエイションの現場でのタイムテーブルを詰め、どういった方法で役者の体感をつくっていくのか、ということ。羊屋さんとどういった連携をとっていくのか、ということ。 考えていきます。  

イトウワカナ
posted by sapporo at 01:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 2007年/羊屋ゼミ・レポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ご応募ありがとうございました。

ワークショップの参加申し込み締め切りました。
たくさんのご応募ありがとうございます。

ショウイング+シンポジウム、見学、ボランティアスタッフのお申し込みは引き続き承っております。ぜひぜひご参加ください。


ショウイング+シンポジウム
研究成果の発表として、各作品のショウイングと、参加演出家全員によるシンポジウムを行います。
■日時:7月28日(土)
 
☆ショウイング 14:00〜17:00 ★シンポジウム 17:30〜21:00
■会場:生活支援型文化施設コンカリーニョ
■料金:1,000円(1ドリンクつき)

ワークショップ見学
各クラスの研究の模様が見学できます。
日程:7月23日(月)、24日(火)の2日間
料金:1,000円(2日間通し、全クラス見学できます)
会場:生活支援型文化施設コンカリーニョ
      ターミナルプラザことにPATOS
       
※見学日の前日の19時までにご予約ください。

 
ボランティアスタッフ募集
演劇大学in札幌開催期間中の運営をお手伝いしてくれる
ボランティアスタッフを募集します。
活動内容:チラシの折込、ワークショップ会場での雑務
  公式ブログへのワークショップレポート 
  ショウイング&シンポジウムの準備、受付、片付け、など。



さて各ゼミの北海道演出家陣は、ただいま講師との打ち合わせのため随時上京中です。各演出家の打ち合わせの模様は、ブログにてアップいたします。ぜひのぞいてください。

posted by sapporo at 01:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 2007年/告知 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。